卒業-4
何も言わない悠子が、何を知りたいのかは黙っていてもわかった。星司は悠子が落ち着くまで待つと、今、各務家で起きている問題を打ち明けた。
その内容を聞く内に、真っ赤に泣き腫らした悠子の目が見開かれていった。
悠子の驚きは無理もなかった。星司は大学卒業後に、各務家から抜ける事を決めていて、それを各務家の親族一同の前で宣言していたのだ。『僕に任せて欲しい』とはそう言う事だった。
「家を抜けるって…」
次期当主の星司が抜ける。じゃあ、その後の各務家はどうなるのか?その答えに気付いた悠子は、ハッとなった。
「陽子ちゃん…」
だから陽子は、あんなに塞ぎ込んでいたのだ。
『社会に出たら、堅苦しい各務の家とは縁を切るつもりよ』
高校時代から、折に触れて聞いていた陽子の口癖が、悠子の耳の奥で蘇った。
親友の陽子とは、将来の事をよく話していた。悠子の専業主婦希望に対して、陽子には自分の得意分野であるIT関係の会社を持ちたいという夢が有った。
「社長さんになるのね。陽子ちゃんらしい」
「でしょ」
「でも、結婚したら、会社はどうするの?」
陽子と知り合って直ぐに、陽子の家に遊びに行った時に聞かされた事が有った。古めかしく立派な家構えに関心を持った悠子に『そんなにいいもんじゃないよ、実際は…』と陽子は切り出した。
その内容は各務家の女は、社会に出る必要も無く、とにかく早く結婚して、子供を生まなくてはならないという事だった。その時の事を思い出した悠子は、陽子に結婚の事を聞いたのだ。
「結婚か…」
そう言って遠い目をしながら、暫く何かを考えていた陽子は、ポツリとつぶやいた。
「無理ね。そんな相手居ないし…」
「何言ってるのよ、陽子ちゃんはモテるから、相手なんて直ぐに見つかるよ」
悠子と違って社交的な陽子に、言い寄る男は多かった。しかし、どんなにいい男と付き合っても、陽子が長続きしたためしはなかった。
「あたしの理想の相手は見つからないわ。絶対に」
悠子の慰めに、陽子は寂しそうに答えたが、直ぐに気を取り直した。
「だから、あたしは仕事に生きるのよ。堅苦しい各務の家なんか、社会に出たら縁を切るつもりよ」
何かを吹っ切るように宣言した『過去の陽子』の言葉が、『時を経た悠子』の心を苦しめた。陽子のこの願いは、星司が各務家を抜けると叶えられなくなる。
「陽子ちゃん…」
時を経た悠子は親友の名を呼び、申し訳無さに顔を伏せた。
悠子と星司。暫くどちらも何も言わずに、時間が流れた。
「ごめんなさい。少し1人で考えたいの。今日は帰るわね」
この時ばかりは、悠子は自分の考える事を、星司に読まれたくはなかった。
星司に見送られ、一人歩き出した悠子が突然振り向いて聞いた。
「星司くんだったら、陽子ちゃんの願いは知ってたよね」
気の弱い悠子にしては、珍しく真っ直ぐな視線だった。
「ああ、知っていた」
星司は、少し離れた悠子に辛そうに答えた。
「そう、やっぱりね…。それともう一つだけ、聞きにくい事を聞いていい?」
星司は悠子の目を見ただけで、心を読まなくても瞬時に何を聞かれるのかを理解した。星司は覚悟を決めたような顔をして頷いた。
「陽子ちゃんて、星司くんの事好きなんでしょ。その弟としてじゃなくて…」
それは悠子が何年も前から聞きたかった疑問だった。それが、今日1日で確信に変わっていた。
悠子のその質問に、星司は目をそらさずに答えた。
「そうだ…」
「やっぱりそうだったんだ…」
星司の回答はやはり衝撃だった。悠子が陽子の願いを潰したのは一つだけでは無かった。悠子はその答えを聞くと、くるりと背を向けて、足早にその場を後にした。
まるで、今固まった決心を星司に悟られないように。そしてその決心が揺るぐ事がないように。