Mirage〜2nd Emotion〜-9
戻した視線の先には、白く、透き通るような顔立ち。その頬は冷気に晒されてほんのりと薄桃色に染まっていた。
唇は、柔らかい何かで塞がれていた。その何かが、僕が触れられているそれと同じものだと気付くのには少々時間が必要だった。
そのまま20秒近く、僕は生まれて初めての感触に頭の中を白く染められ、思考はフリーズを余儀なくされる。
それでも流石に息苦しくなり、玲子の身体を引き離したときだった。
好き。
彼女は真っ直ぐに僕の目を見据え、喘ぐように、搾り出すようにそう呟いた。あの距離でないと聞き逃していたかもしれない。
絶えず変化する状況を把握しきれず、僕はとりあえず考えさせて欲しい、と伝えた。すると彼女は黙って頷き、じゃあ明日もまたここで、と約束してその日は別れた。
彼女は容姿的には十二分に魅力的だったし、若干周りの状況や雰囲気に流されやすいことを除いては性格にこれといって欠点は無かった。そういったことを踏まえると、僕の出した結論は言うまでもない。
それでも、僕に無いモノを持っていた彼女を、恋人として認識するまで時間はほとんど必要なかった。
諍いの後は不安にもなったし、違う男と話しているのを見たら嫉妬もした。それらの感情は、恋愛をする上での副産物だったのだろう。
僕はいつの間にか心を乗っとられてしまっていた。
まるで、たまたま足を踏み入れた山中で思いもよらぬ財宝を見つけた冒険者のように、僕は目の前のものを拾い集めることで精一杯だった。
そして気付けば僕は、もう戻れない場所に立っていた。
確かあれはイエス・キリスト誕生の前夜のさらに一日前。僕と玲子は、些細なことで喧嘩した。そんな状態のまま、一週間くらい。流石に危機感を感じた僕は、僕の友人──1番信頼していた、いわゆる親友だ──に、仲裁を頼んだ。『こと』が起こったのは、その日の夜だ。
その友人から電話がかかってきた。ことの帰着を訊いた。返ってきた返事は、予想だにしていないものだった。
『俺、玲子と付き合うことになった』
彼は確かにそう言った。
一瞬の停滞の後、僕がとった行動はもちろん猛抗議。けれど、彼はこう言った。
『でも、玲子は俺を頼ってくれた。俺なら、あいつを悲しませるような真似はせぇへん』
と。
僕は全てを悟った。玲子は僕を一方的に悪役に仕立て上げ、挙げ句の果てには俺の親友に乗り換えた。結局のところ、誰でも良かったのだろう。僕でなくても。
結果、僕は大事に思っていた人間を、心底信頼していた人間を二人同時に失う羽目になった。
彼に何の断りもなく携帯電話の電源を切った後、僕の部屋には渇いた嗤い声が響いた。
可笑しかった。手のひらの上で踊らされ、結局すべてを失った自分が、どうしようもなく滑稽だった。
気付いてしまった。人と人との繋がりが、如何に脆弱なものかということを。どんなにそれが強い輪だと信じていても、実際は飛び出した部分を軽く引くだけで容易く解けてしまう。
もう、日付はクリスマス・イブに変わっていた。