千章流行 ☆-1
撮影者の男は……
その男は常日頃から、全てにおいて平均程度に自分の能力をコントロールしていた。
決して周囲から注目を浴びる事無く、類稀な能力を秘めながら日々を無為に過ごしていた。
それが男の処世術であった。
《すぐれた人間は、時として疎まれる》
必要であれば、“本気”になれば良い。
そんな窮屈な生き方を選び、少年から青年に、そして成人し社会へと出て行く。
男の名は、千章流行(せんしょうりゅうこう)
1993年
商社に就職した年の夏、突然の不幸が23歳になった千章を襲う。
両親が高速道路上で、後続トラックに追突され死亡する。
事故を起こしたトラック運転手藤岡明も意識不明の重体であったが、その後病院にて死亡が確認された。
数ヶ月後欲しくも無い両親の保険金が支払われる。
ひとりで住むのには広すぎる建物に広大な敷地。
千章の実家は地元の名家で、大変裕福な家庭であった。
しかしその想い出深い家屋敷も、相続税の支払いの為に手放す必要が出てくる。
千章は引き継いだ全ての資産を売り払い現金化する。
人生をリセットする為に……
時価評価額は10桁に迫る勢いであったが、相続税等の諸経費を清算すると3分の1程度になっていた。
それでも20代前半の青年の口座には驚くべき残高が残る事になる。
元々浪費が嫌いな性格だったので、生活レベルに全く変化は見られなかった。
その反面、自らの価値観に準ずるものには手間暇や金銭を惜しまない一面もあった。
会社にも両親の喪に服した後、復帰し変わり無く仕事をこなした。
緩やかに時が流れ始め、私生活も仕事も順調であった。
この間唯一の変化と言えば、車を購入した事くらいであろうか?
購入した車はイギリス車のロータス・エリーゼ。
幼少期より美しいものが好きであったが、1995年にフランクフルトモーターショーで発表されたロータスエリーゼに一目惚れする。
因みにその出自は、当時の会長の孫娘の名前「エリーザ」に由来しているらしい。
三年後の冬、並行輸入車のエリーゼを手に入れる。
時に1998年、千章流行28歳の事である。
普段通勤では公共機関を使用していたので、エリーゼでのドライブは休日の夜間のみ楽しんでいた。
元来目立つ事や変化を嫌う性格であったが、それ以上に美しいものを愛でた。
その為限られた時間に乗る車の為に、地下駐車場付の駅前マンションを購入した。
ここで初めて亡くなった両親の遺産に手を付ける事になる。
2000年 初冬
千章は医療施設にて精密検査を繰り返し受けていた。
理由は以前より悩まされ続けていた激しい頭痛。
結果は予期せぬもので、軽度の脳動脈瘤が発見される事になる。
医師の見解によれば、日常生活においてほとんど支障の無い範囲であるらしい。
セックスを含め極端に激しい運動でなければ問題は無い。
もっとも望ましくは日頃より規則正しい生活を送り、極端なストレスや刺激物の摂取を控える事が望ましいと付け加えられる。
そして少なくとも半年に一度は、動脈瘤の変化を確認する検査を義務付けられる。
この検査結果次第によっては手術の必要性が生じ、術後の長期リハビリといくつかの不安要素が明瞭に説明される。
(ようは危険性が迫るまで、要観察がおすすめと言う事か?)
それ程悲感に暮れはしなかったが、安心できる状況でもないようであった。
時に1999年、千章流行29歳。
医師からの注意点は私生活においては、特に問題は無かった。
元来煙草もアルコールも摂らず、刺激ある食物も好まなかったからである。
しかし仕事面において過剰なストレスは避けらず、数ヶ月悩んだ後決断をする。
生きて行く為の蓄えは十分過ぎるほどある。
もっともそれは、亡くなった両親より譲り受けたものではあるが……
それでも人生をリタイアする自分を、きっと両親も許してくれるであろうと思う。