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鮑売り
【その他 官能小説】

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鮑売り-1

(1)


「孝子おばさん、憶えてる?亡くなったんだって」
母から聞いて記憶が遡り、彼女の面影が甦った。
 一年以上前のことで、肺炎をこじらせて急逝したという。古い知人からたまたまもたらされた訃報に母は感慨に沈むように溜息をついた。
「明るい人だったわね。いつも笑顔で、元気いっぱいで……」

(忘れたことはない……)
ぼくにとって忘れられない人であった。折にふれ思い出し、時には夢にも現れて、胸を熱くすることさえあった。たしかに会えば笑顔の人だったが、夢に出てくるおばさんはなぜか決まって海の夕日に淋しそうな横顔を染めて佇んでいる姿だった。そんな場面を見たことはないのになぜか浮かんでくるのである。
 
「66だったって。まだ若いわよね……」
(66歳……)
ということは、『あの時』彼女は56歳だったことになる。……
「いろいろよくしてもらったわ。残念ね……」
思い出を辿りながらその頃を語る母の言葉を聞きながら、ぼくは心の深遠な部分に蠢く感情に揺れていた。

 海沿いの風向明媚なその町でぼくは生まれ育った。父の実家である。もともと古い漁師町であったが、近くに温泉もあり、新鮮な魚が食べられるということでグルメブームにものって観光地としての色彩が濃くなっていた。

 『孝子おばさん』は夫婦で魚屋を営んでいた。地元民相手の小さな店であった。
 ぼくの父は公立高校の教師、母も幼稚園の教諭で、その頃健在だった祖父も役場に勤めていたから学校から帰るといつも祖母が迎えてくれた。
「買い物行こうか」
「うん、行こう」
ぼくはランドセルを投げ出して脱いだばかりの靴を履いて外へ飛び出したものだ。
 買い物に行けば必ず魚屋に寄る。魚はスーパーもあったが、魚介類は『おばさん』のところと決まっていた。

 店の奥ではおじさんが大きなまな板で魚をさばいている。ぼくはその様子を見るのが好きだった。
「英樹ちゃん、中に入っていいよ」
おばさんの言葉を待ってまな板のそばに行くと、無口なおじさんがちょっと怖い目を向ける。怒っているのではなく、無愛想なのである。目が合うとわずかに口元が緩む。おじさんの精一杯の『笑顔』であった。
 そうして特等席でおじさんの包丁さばきを見つめるのだ。
 小気味よく切り裂かれる魚体、刃物の切れ味、かすかな興奮さえ覚えながら眺めていたものだ。
 もう一つの興味は冷蔵庫のそばに置かれた水槽である。そこには鮑が入れられてあった。サザエや他の貝はポリバケツの中に入っている。鮑は特別なんだと思っていた。

 ガラスにへばり付いた鮑はほとんど動かない。だがじっと見ていると吸盤のような貝肉が微妙な蠢きを見せる。
(生きてる……)
わかっていながら改めて生き物の生々しさを感じたものである。
「鮑なんか見ててもつまんねえだろうが?」
知らずうち魅入っていておじさんの声に我に返ったこともあった。

 鮑の身は感覚として『肉』のように感じられた。
(生きている肉……)
人間の肉もこんな色なのだろうか。……子供心にそんなことを考えたこともある。

 おじさんが病気で亡くなったのはぼくが中学生になった頃で、それから程なく祖母も他界した。家のことをしなければならないので母は仕事を辞めた。買い物は母の役目になり、さすがに中学生になると母親と連れ立っての買い物は憚られたが、魚屋だけは付いていった。鮑を見るために。……

 おばさん一人になると店の品物はずいぶんと少なくなった。それまでのように仕入れや下処理はおばさんだけでは無理だったようだ。魚を捌くこともなくなり、主に干物や小魚を置くようになった。鮑だけは以前と変わらず水槽に潜んでいた。むしろ前よりも数が多かった。
「こっちの方が割がいいんだよ」
旅館やホテル相手に確実な収入になるんだと母に言っていたことがある。
 おばさんは漁業権を持っていて小舟を操って箱メガネと銛でとってくるのだ。海が静かな朝に岩場で見かけたことがあった。

 中学二年になったぼくは学校帰りに魚屋の前を通るようになった。少し遠り道なのをわざとそうしたのである。ゆっくり店の前を歩いていくとおばさんが声をかけてくれる。
「あら、英樹ちゃん、お帰り」
ぼくが笑って立ち止まると、
「今朝、大きいの獲ってきたよ」
水槽を指さして手まねきする。ぼくは店の奥に入って水槽を覗き込む。
「めったに獲れない大物だよ」
「すごいね」
言いながら、ぼくは鮑を見てはいなかった。

(おばさん……)
この春にオナニーを覚えたぼくの関心は彼女の姿態に移っていたのである。
 それまで気にも留めなかった仕草や体の部分がときめきを伴って目に飛び込んできた。性の目覚めと同時に『女』を意識したのはおばさんであった。

 ゆらゆら揺れる乳房。おばさんは下着を着けていなかった。よれよれのTシャツの襟首からは屈んだりすると乳首まで見えた。
(真っ白なオッパイ!)
日焼けた顔や腕とは対照的な肌の美しさに動悸が高鳴ったものだ。
 黒いゴム長靴、色あせた紺色のズボンはたっぷりの肉付きにはち切れそうであった。
 思えば夏場はいつもそんな格好だった。


  

 
 


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