鎖に繋いだ錠前、それを外す鍵 2.-14
「そうっすね、男が勝手なこと言うてるんが、よーわかりました」
笑いながら、まだ陽太郎は鏡を覗きこんでいる。「……満足してもらえました? ユリさん」
友梨乃は片脚を前に出して交差させ、豊かなバストを抱えるように腕組みした姿で立ち、陽太郎を微笑ましく見下ろしていた。
「楽しかった。……なんだろうね、これ。お人形遊び的な感じなのかなぁ」
「人形なんですか、俺」
「だって、最後の方はもう、言いなりだった。あ、でも……」
「え?」
「ひとつ、不満なんだ。……私、ウィッグ持ってない」
「ウィッグ?」
「かつらのこと。……ベリーショートだ、っていうにはちょっと無理があるから。藤井くんの髪。……私より長めでボリュームある感じがいいと思う。肩までかかるくらいで内巻きなら、のどぼとけ目立たないし、横から見られても隠れると思う」
友梨乃はカゴを持ってドレッサーの下にしまうと、風呂に置いているクレンジングの残量を思い出しながら、「そのカッコで帰らないよね?」
「……」
「帰るつもり!?」
友梨乃が笑いながら陽太郎を振り返ると、陽太郎はいつのまにか鏡から友梨乃の方へ体を向けて、真剣な表情を向けていた。
「……練習したら、俺もこれくらいできるようになりますか?」
「え……?」
陽太郎の顔つきに一瞬怯んでいた友梨乃に、意外な言葉が聞こえてきた。
「……化粧」
「できるも何も、女の子がみんな生まれつきできるわけじゃない」あまりに真剣な顔を向けてこられるから、友梨乃は困った苦笑を漏らして目を逸らせた。「……練習って、藤井くん、本当に変な趣味に目覚めちゃった? ……目覚めさせちゃった?」
「女の子に見えますか? 俺」
友梨乃は改めて陽太郎を見た。チュニックとクロップドパンツ姿は男っぽい体つきを隠している。顔に施された化粧は、目元と唇が映えて、一見すると誰も男だとは思わないだろう。
「見える……」
「練習します。化粧」
「……」
「か、かつらも買います」
「ウィッグだって」
「仕草とかも……、女の子に見えるようにします……」
陽太郎は、ドレッサーの椅子に座って両手を脚の上に置きながら、肩を小さくしていた。急に悲哀に暮れ始めた陽太郎が可哀想になってきて、友梨乃はゆっくりと彼に近づくと、やさしく肩に手を置いた。
「……女に、なります……」
「なれないよ。お化粧したって、女の子の服着たって……」
言葉をつなげる前に、友梨乃自身、心が塞ぎそうになったから息を付いて落ち着かせると、「ニセモノだよ。そんなの」
と言った。
「ニセモンでもいいです。女になって……」
陽太郎の声は震えていた。「……ユリさんと一緒にいたい」
苦しげに絞り出た陽太郎の言葉に友梨乃の心の中で、悲しいのに甘くもある痛みが広がっていく。陽太郎が何故今日女の格好をしてここに来たのか、友梨乃に言われるがままに着替え、化粧を受け入れたのか、よくわかっている。
「……藤井くん、顔上げて」
コクンと唾液を飲んで友梨乃は言った。陽太郎が涙で瞳を潤ませた顔を上げた。「泣いたらせっかくのお化粧、落ちちゃうよ?」
そう言って友梨乃は一歩近づいて陽太郎のすぐ前に立った。両手を肩に置く。陽太郎を、あのベッドの中で嗅いだ友梨乃の麗しい薫りが包み込んでくる。
「……動かないでね。……絶対だよ」
「……はい」
辛うじて喉を震わせて出した返事を聞くと、友梨乃は身を屈めて陽太郎の唇に顔を近づけていった。自分の好きな形の唇がそこにあった。グロスに艶めく唇に、自分の唇を当てる。音を立てて離すと、もう一度唾液を飲み込んだ。キスで唾液が口内に溢れてきたからだ。もう一度唇を合わせる。陽太郎の鼻息が顔を擽った。
友梨乃は唾液が撥ねる音を立てながら何度もキスを陽太郎に浴びせていた。嫌悪感は全く起こってこなかった。それどころか、背中をゾクゾクと潤しい快美感が起こってくる。
「……好きです……。どうしても」
たまらなくなった陽太郎が声を漏らした。その言葉を聞いて友梨乃は目を閉じたまま額をこすりつけると
「私……、普通の女になれる?」
と問うた。
「普通の女です。ユリさんは」
「ううん。私はニセモノ」鼻を啜ると目尻から涙が頬を伝い落ちた。「……男の人でも大丈夫な、普通の女になりたい」
何も知らない陽太郎を誘って、抱かれることでそれを果たそうとしたが、全く潤ってこない体と拒絶感のせいで未遂に終わった。陽太郎が自分のことを好きだ、と言ったとき、ああまたか、と思った。申し訳ないことをした陽太郎に対してだけは、真実を言うことで、もうこのどうしようもない自分を放っておいて欲しい思いを満たそうとした。
だがこうしてまた陽太郎は自分のところに来てくれた。偽りの姿となって。同じ偽物の女となって、それでも自分を求めてくれている。