鎖に繋いだ錠前、それを外す鍵 2.-10
「……すんません。こんなんで。……えっと、ハズいんで中入れてもらっていいですか?」
陽太郎が照れ笑いを浮かべながら求めると、友梨乃は笑いを抑えられないまま、どうぞという手を伸ばし、壁に身を寄せて間口へ導いた。ドアが閉まる。友梨乃はスリッパを陽太郎の足元に置くと、スニーカーを脱いで足を通すのが見えた。足は薄布に包まれている。シアータイツだ。目線を上に上げると、シアータイツの布地がずっと続き、膝を隠してコーデュロイのAラインスカートの裾が見えた。立ち上がると、キャスケット帽を脱いだ陽太郎の顔はアルバイトの時そのままに、薄手のニットセーターで身を包んでいる。恐らくレディース物だ。
「その……、カッコで来たの?」
「……はい」
普通なら気味が悪い。だが、友梨乃の前にいる陽太郎は「それなりに見れる恰好」だった。女らしいとは言えないが、明らかに男だと言い切るのには少し勇気がいるほど、気色悪さよりもユニセクシャルな雰囲気を醸し出していた。だから追い返したりはせず、笑いを誘われて中に導き入れてしまったのだ。
「何でそんなことしたの? ……ていうのは何となくわかるけど」
リビングに引き連れていって、振り返った。「おかしいよ、藤井くん」
「はい。俺も、こんなん変態やと思います」
陽太郎は自分自身に困っているような表情で眉根を下げて口元に笑みを浮かべている。友梨乃はまだ可笑しそうに笑っていた。友梨乃の心を窺っているような色を滲ませていた陽太郎の表情が、友梨乃の笑顔で晴れていく。
「気持ちわるないんですか?」
「気持ちわる……、くはない。……おもしろいけど」
改めて友梨乃は陽太郎の頭の先からつま先まで目線を往復させて、
「少し女の子っぽく見える」
と言うと、陽太郎に嬉しみが広がっていくのがわかった。
「座って」
ソファを勧めると陽太郎が座る。「……そんな脚開いて座らないよ? 女の子は」
すると陽太郎は慌ててスカートの脚を綴じ合わせた。それでも外見はどこか収まりが悪い感じがした。
「こう……」
斜向かいのオットマンに座って友梨乃は背筋を伸ばし、少し斜めに脚を揃えた。友梨乃に倣うように、陽太郎も脚を斜めに向ける。
「……私があんなこと言ったから?」
それを見届けると友梨乃は立ち上がり、キッチンに向かう背を見せたまま言った。
「はい……、たぶん」
電動ケトルのスイッチを入れたあと、豆を計量カップでコーヒーミルに移しつつ、
「たぶん?」
陽太郎の方には目を向けなかった。
「……家に帰っても、ユリさんのことあきらめられませんでした」
「藤井くんって、淡白っぽいのに、案外しつこいんだね」
笑いを混じらせて言うと、
「初めてです。こんなん」
と聞こえてきた。「……ユリさんが、……そうや、って知っても、やっぱりユリさんが好きでした」
「気持ち悪くないの?」
「それはないです」友梨乃の言葉に覆いかぶせるように陽太郎は言った。「気持ち悪いなんて、ぜんぜん思わんかった……、んですけど、やっぱりめっさ悲しかったです」
「悲しい? なんで?」
ハンドルを回してミルに豆が潰される鈍い音に混ぜて友梨乃が問うた。
「そらそうですよ、俺、ユリさんの『対象外』って言われたら、悲しいに決まってますやん」
「そっか……。……対象外か、……確かにそうだね」
「けんど、諦めなあかん、ってなっても、諦められませんでした。ずっとユリさんが頭にチラつくんですもん」
「そんなに?」
電動ケトルがピーッと音を立てた。「すごいね、そんな風になるなんて」
自分のことなのに、友梨乃はまるで他人ごとのように言いながら、食器棚からカップを二つ出して並べる。引き出しからフィルタを取り出し、カップに乗せるとミルから出した挽豆にケトルからゆっくりと湯を回し注ぎ始める。
「それで……、そんな風になっちゃうの?」
「……。気ぃついたら」
「話、端折りすぎだよ」
友梨乃は笑って、フィルターを越えて匂い立つ湯気で薫りを確認しながら言った。
「こうしたら対象になる、なんて、そんなわけないってのは分かってます」
陽太郎の溜息が聞こえてきた。「けんど……、こうでもせな、おかしくなりそうやったんです」
友梨乃はようやく少し振り向いて、陽太郎を一瞥した。女らしい座り方をしたまま背を丸めて項垂れている。
「……おかしくなりすぎだよ」
友梨乃は残った豆を三角コーナーに入れて、流し桶にフィルタを浸けた。手を洗って拭うと、コーヒーカップを二つ持って陽太郎の前に戻ってきた。
「すみません」
テーブルの上にカップを置くと、陽太郎は僅かに頭をさげた。コーヒーの礼なのか、女装して突然押しかけたことに対する謝罪なのか、どちらなのか分からなかった。
「……どこのお店で買ったの? 一人で買いに行けたんだ?」
「いや……、ネットで買ったんです。全部」