ときめき−二人の出会い-2
◆
すずかけ町の名門スイーツ店『Simpson's Chocolate House(愛称シンチョコ)』のオーナー、ショコラティエのケネス・シンプソン(39)は、朝、自らの仕事場であるアトリエの掃除を終えると、店を出てこの町の繁華街の中心、紅葉通りアーケードに足を向けた。
「ケニーさん、おはようございます」花屋の娘が店先に水をまく手を休めて顔を上げた。
「おお、ゆかり嬢ちゃん。おはようさん。相変わらず明るい笑顔やな」
「花屋は笑顔が命ですからね」
「ええ心がけや」
その娘は腰を伸ばして眩しそうに目を細めて空を仰いだ。
「今日も暑くなりそうですね」
「そやな。そやけど夏は暑うて当然や。そない思たらなかなかええ季節やで」
彼女はふふっと笑った。「さすがケニーさん。いつも前向きですね」
しばらく歩いてアーケードに踏み込んだケネスは、角の八百屋の老主人に声を掛けた。
「源三おやっさん、今日もええもん仕入れられたか?」
ケネスは店先に止めた軽トラから積まれたトマトの箱を下ろしているその主に手を貸し、店先まで3つの箱を重ねて運びながら言った。
「ケネス、なんだ、朝から散歩か? 優雅なこったな」
「明智んとこに行く途中や。酒がいくつかきれそうなんや」
「そうか」
「どや? この暑さで野菜が値上がりしとる、言うてたけど」
「そうなんだよ」八百屋の主は首から掛けたタオルで深い皺の刻まれた額の汗を拭った。「ここんとこずっと品薄でな」
そう言って源三は箱からトマトを3つ取り出し、店の柱に掛かっていたレジ袋に入れてケネスに手渡した。
「おまえもビタミンとらにゃバテてしまうぞ」
「なんや、こないな気ぃ遣わんといて」
「もってけ」主は笑ってまた荷下ろしの仕事を再開した。
「ほな遠慮なく。おやっさんももうええ歳なんやから、あんまり無理したらあかんで」
「大きなお世話だ」
ケネスは笑いながらそこを後にした。
間もなく彼はアーケード街のほぼ中央付近に店を構える『酒商あけち』にたどり着いた。
「おやじ、おるかー?」ケネスは大声を張り上げた。
店の奥からそれに輪を掛けて大きな声が聞こえた。
「ケニーか?」
「早よ顔出さんかい」
ケネスはそう言いながらさっき八百屋の主からもらったトマトを一つ取り出し、着ていたTシャツの裾で一拭きすると、出し抜けにかぶりついた。
「なんだ、ケニー、おまえ俺の店のど真ん中で、わざわざトマト食うためにきたのか?」
『酒商あけち』の主人、明智大五郎(39)は、あきれ顔でケネスの前に立ちはだかった。
「おまえも食え。卸したてやで」
ケネスはそう言いながら袋からトマトを一個取り出して目の前の色黒で逞しい男に手渡した。
店のレジ横に置いてあったティッシュを遠慮なく掴み出してケネスは口元を拭いながら言った。
「どや、うまいやろ? 源三のおやっさんの眼に狂いはない」
「もう一回言うが、おまえ、」大五郎もトマトの汁まみれになった手と口を首に掛けていたタオルで乱暴に拭った。「トマト食うために来たのか? ここに」
「ちゃうちゃう。ちゃんと商品の注文しに来たんやないか」
「だったら最初からそう言え。ったく、店の床平気で汚しやがって……」
大五郎はレジ横の床に丸まっていたぞうきんをつま先で引っ張り出し、ケネスがこぼしたトマトの汁を拭き取った。
ケネスと大五郎はこの町の商工会の同じ幹部だった。一緒によく飲む間柄で、気心の知れた仲だった。
「ええか、大五郎、メモしいや」
「おまえがメモして来るのが筋ってもんだろ?」
大五郎はレジの横に置いてあるメモ用紙にボールペンの先を乗せた。
「オレンジキュラソーとカルア、ラムとスコッチウィスキー。ラムは2本や。あとは1本ずつでええわ。とりあえず」
「ラムが2本、オレンジキュラソー、カルア、スコッチが一本ずつだな?」
ぴんぽん、と言って右手の人差し指を立てたケネスを斜に見て、大五郎は呆れたように小さなため息をついた後、言った。
「ほんじゃ後で届けっから」
「すまんな」