第四章-4
季節は巡り、文月。この月は十三日から妓楼こぞって軒に玉菊灯籠を吊す。細工・彩りを凝らした灯籠が賑やかに点る往来とは対照的に、竹村伊勢の店の奥で、主の清右衛門が浮かない顔をしていた。彼の心の内は、火の消えた小田原提灯が折り畳まれたような感じだった。というのも、新しく売り出そうとした白い煎餅の製法を記した書き物と一緒に番頭の金造の姿が消えたからである。
白玉粉を捏ね上げて蒸して焼いて、砂糖水で湿らせたところへ太白糖をまぶして出来上がる、口当たりが軽くて甘い煎餅。この売り出し方について、五日ほど前から清右衛門と金造の意見が対立していた。
「清右衛門どの、貴方は安く広く売ろうとしているが、せっかくの新しい品。多少高く値を付けたとて羽が生えて飛ぶ売れ行きとなること間違いない」
清右衛門を旦那様とは言わず名前で呼んだ金造は、その時点で主を軽んじていることは明らかだった。
「いや、金造。この白い煎餅は歯弱の者……老人や子供、患いびとのためにこしらえたもの。その者らに高い銭を出させるのは忍びがたい」
「何を申すやら。売るのはこの吉原に於いて。色里に老人はたまに見かけるが、子供・病人は縁無き衆生」
「吉原を巡る飄客にも親兄弟、子供がおろう。手土産として売れる。その目算が立っておる」
「手土産ならば多少高いほうが箔が付くというもの。この商いの勘所が貴方は分かっていない」
二人はいくら話し合っても折り合いが付かなかった。そして、しまいには金造がこう口走った。
「こんな商いの下手が主では、先行きが心配で算盤(そろばん)を弾く指が震えますな」
これには、普段は温厚な清右衛門も声を荒げてしまった。金造も声高に応じ、侃々諤々の言い合いに店の者が集まってくる始末だった。
そうこうしているうちに、二日後の朝、金造の竹村伊勢を辞する書き置きと入れ替えに煎餅の製法を記した書き物が消えていた。消えていたのはそればかりでない。煎餅を作る材料の白玉粉が、いつの間にか、ごっそりと持ち出されていたのだ。
製法を書いた物が消えたとて作り方は清右衛門の頭の中にあるので問題はなかったが、白玉粉が悩みの種だった。廓内の米屋に聞くと品切れであり、近隣の穀物問屋に人を走らせたが、そこでも求める物は底をついていた。
『これは……、金造が裏から手を回したな? ……しかし、あいつ一人でここまで大がかりなことが出来るであろうか……』
清右衛門は懐手で首の肉に顎をめり込ませていた。
それから七日ほど経ってからのこと。
「清右衛門どの、お聞きになりいしたか?」
月汐が血相を変えて竹村の暖簾を手で跳ね上げた。
「浅草の『きのえ堂』という菓子屋で、あの白い煎餅が売られているということでござんすえ」
「花魁。それをどこでお耳に?」
「ゆんべ登楼した客から聞きいした。白くて丸くて砂糖がまぶされてあって口当たりが軽い……、まさにあの煎餅ではござりいせんか」
清右衛門の赤ら顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。
(続く)