甘い口溶けを貴方と…-1
時刻はちょうど午後七時を回ったところ。世間一般のマスメディアはゴールデンタイムと呼ぶところの時間である。
どのテレビ局も挙って視聴率稼ぎに東奔西走しバラエティ番組を放送している、そんな時刻ではあるが、この家の娘はテレビの前ではなく台所の前に立ってなにやら作業をしている。彼女の目は真剣そのもの、まるで一世一代の合戦に出陣する武将のようである。
「ふぅ〜、やっと出来た!」
大きく息をついて張り詰めていた緊張感を解き、少女、菅原梓【すがわら・あずさ】は満面の笑みを浮かべた。満足気なその表情を見る限り、作業は成功したようだ。
「これだけ上手く出来たんだから、明日は大丈夫だよね!」
──後は飾り付け、リボンをつけてーっと。それに……純一に何て言って渡そうかな……、なんか照れ臭いや。
さっきから梓はテレビも見ず、もちろん勉強もほったらかして、ちょっぴり頬を、さらには耳までをも赤らめて忙しく台所を行ったり来たりしている。
理由は実に簡単、今日は二月十三日。世の女性たちがチョコレートの力を借りて愛する男性に愛を伝える、すなわちバレンタインデーの前日なのだ。
そう、全ては愛する人と一緒にチョコレートの甘い口溶けを味わうために……。
「うう〜、眠い……」
いつでも快眠な梓ではあるが、今日はバレンタインデーということで緊張したのか、さしもの彼女もあまり眠れなかったようだ。寝付きが悪かったためいつもより二時間ほど短い睡眠時間となった。遅寝は美肌の天敵ですよ、お嬢さん。
「梓〜、そろそろ降りてきなさい。遅れるわよ〜!」
下から母の大きな声が響く。まだ朝だというのに元気に満ちあふれた声である。その声でもまだ完全に覚醒しない梓はパチパチと自分の頬を叩く。その刺激で辛うじて目が覚め起き上がり、諸々支度を済ませて梓は下へ降りた。
「おはよう!」
「おはよう梓。今日はちょっと遅いわね」
「夜更かしでもしたか?」
母の絵美【えみ】と父、大介【だいすけ】が笑顔で挨拶を返す。大丈夫だよ、と返事しつつ梓は朝食に手を付ける。食事中でも会話が途切れることはない。この賑やかなのが菅原家のいつもの食事風景だ。この明るい家庭環境が梓の性格を形成したのは簡単に予想がつく。
「それでは今日の占いのコーナーで〜す!」
しばらくすると、テレビから女子アナの元気な声とともに毎朝お馴染の星占いの時間になった。梓も占いとかを気にするお年頃、眠気も吹っ飛ばしテレビ画面に集中する。
「あは、やった一位じゃん私!」
テレビの液晶ディスプレイには、一位に梓の星座である獅子座が表示されていた。
「今日の告白は吉かぁ…」
今日みたいな特別な日に占いが良い運勢を示すと気分が高揚するもの。しかも『恋愛運最高、告白も吉』なんて出た日にゃ。テンションを下げろ、と言われても無理なものだ。
「──さ、…梓!」
「ふぁ!?」
いきなり大声で呼ばれすっとんきょうな声をあげる梓。少しばかり想像の世界に旅立っていたようだ。
「『ふぁ!?』じゃないの!ねぇ梓、昨日チョコレート作ってたでしょ。誰にあげるのよ?」
唐突に尋ねてきた絵美。ものすごく目を輝かせ、身を乗り出して聞いてきた母の様子に一瞬たじろぐ。
「え!……それは、その……」
あまりに突然な質問だったので思わずどもる梓。
「あれ?そんなことしてたのか?」
「貴方が帰ってくる前にやってたのよ。で、誰なの?純一くん?」
──鋭い。じつに鋭く核心を突いてきた絵美。図星を突かれてだんだん顔が熱くなってくる。
「どうやら、純一くんみたいだな」
「そうね。ウフフ……」
そんな耳まで真っ赤に染めた我が子を見て微笑む両親なのであった。