奸計1-3
本当は探偵でも雇いたいところだが、知る人間を作りたくないから自分で動くしかない。早速行動を開始した。
何時に家を出るのかわからないので、朝早く佐伯の家の前を車で往復した。田倉を尾行したときに使ったパーキングに車を停めて徒歩でも見張った。会社には取引先に寄ってから出社すると連絡した。数日通ったが恵の姿を見ることができなかった。もしかしたらショックで学校に通っていないのだろうか。家の中の状況は想像に難くない。悪いのは奈津子であり、佐伯と恵はとばっちり以外何ものでもない。
思い切って家に電話をかけたことがある。いきなり奈津子が出たので慌てて切った。佐伯はまだ追い出していないのだろうか。佐伯は会社なので安易に探っていたが、ここは慎重に見張る必要がある。奈津子に顔を覚えられているし。あのときあと一歩で体を自由にできたわけだが、今思えば石橋に見つかってよかったのかも知れない。訴えられでもしたら後ろに手が回ってしまう。
下村秘書似のダッチワイフが待ち遠しい。写真で確認したが、それはすばらしいモノだった。奈津子似も捨てがたいが、やはり沙也加似がいい。毎日石橋に催促しているのだが、「まだです」と素っ気ない。
会社で佐伯は必要最小限以外、誰とも話さなくなった。田倉とは顕著だった。回りの社員も腫れものに触れるような状況で、もてあまし気味であった。田倉に敬意を払っていた社員も今では小気味がいいほど無視状態である。当の田倉は何事もなかったように振る舞っているが、内心は忸怩たる思いだろう。沼田の狙いどおりにことが進んでいる。味方は下村沙也加だけとなった。本当に優しい女だと思う。やはり抱きたい女ナンバーワンだ。夢は叶わないのでダッチワイフに思いの丈をぶつけることにしよう。
とうとう恵の姿を目にしたときは感動すら覚えた。何もかもが石橋の言ったとおりだった。昨今のアイドルなど完全に凌駕している。恵の暗い表情に凄惨な美を感じた。通勤通学のラッシュ、降りる駅は学生だらけ、とても声をかけるチャンスなどなかった。密かにあとをつけて学校がわかった。学校さえわかれば佐伯の家に用はない。
大勢の目があるので不審者に思われないよう工夫を凝らして学校を見張った。毎日来れるはずもなく飛び飛びだが、辛抱強く待った甲斐があり、ようやく校門から出てきた恵を発見した。その輝きたるや、他の女生徒など追随を許さない。
あとを追おうとしたとき、校門から白いスポーツウェアを着た背の高い男子生徒が出てきたので身を隠した。顔立ちの整った長髪の少年だ。その美少年が恵を呼び止めて何か言っている。『もう帰るの? クラブやっていかないの?』のような雰囲気だった。だが恵は、ほとんどその男子生徒と視線を合わせず、腰を折って頭を下げて背を向けた。男子生徒は名残惜しそうに恵の後ろ姿を見つめていた。もしかしたら恵の彼氏? と思ったが、恵の反応からクラブの先輩後輩の間柄のような気がする。少年は恵に気がある、と沼田は推測した。
駅の改札口の手前で思い切って声をかけた。
「佐伯さんの娘さんですね」
振り向いたその目に涙をためていたので、うろたえた。あの少年との短いやりとりの中で何かあったのだろうか。もしかしたら恵もあの少年のことを……。
「間違いでしたら申し訳ございません」と、ことのほか丁寧に頭をさげる。恵は「はい、そうですが」と指で涙をぬぐいながら答えた。美しい少女に正面から涙目で見つめられ、たじろぐ。
「やはり、そうでしたか」
恵が眉をひそめる。できるだけ爽やかな笑顔になるよう心がけた。人畜無害の表情だ。続いて沼田は神妙な表情をつくった。
「実はわたくし探偵をやっておりまして、とある方からの依頼で、田倉さまの身辺を調査しておりました。事情云々はわかりませんが、依頼されたことを全ういたしました」
田倉の名を出すと、恵はうつむいた。どうやら名前は知っているようだ。
「その結果、佐伯さんのご家族を大変な目に遭わせてしまいました。本当に申し訳ございませんでした」
執事のような慇懃な態度で深々と頭をさげた。恵がうろたえているのがわかる。これでいい。