Tデパート-1
Tデパートに入りさえすれば、俺はこれまでの人生の負けをいっぺんに取り戻すことが出来る──。
高橋に引き抜かれた時、俺は単純にそう考えていた。
しかし実際は、そう簡単にはいかなかった。
流通業界では学歴はさほど問題ではないだろうと思っていたのだが、大卒の奴らとそうでない俺との間には厳然たる壁が存在していた。
高橋の配慮で、入社のタイミングは新卒の連中と同じにしてもらうことが出来たが、逆にそのおかげで俺はどこへ行ってもまず出身大学を聞かれた。
リメイクミシンにいたころは、こういう互いの学歴に関する会話など全くなかったから想像もしていなかったのだが、大卒の奴らというのは、まずそれを確認することで相手のおおよその格付けをするらしい。
「いや……俺……高卒なんすよ」
俺がそう答えた途端、相手の表情がサッと変わるのがわかる。
胡散臭いものでも見るような怪訝な目。
たった今まで同じフィールドに立っていたはずなのに、その瞬間俺はたちまちワンランク下の層へと蹴り落とされる。
「──え?お前まさかコネ入社なの?」
あからさまにそんな言い方をする奴も一人や二人ではなかった。
俺が合格した大学より随分レベルの低い大学を卒業した奴らに、俺は見下された。
それは想像以上にひどく屈辱的なことだった。
実際俺は高橋のコネで入社したわけだし、その事実は否定出来ない。
だがたとえコネ入社だったとしても、仕事で誰にも文句を言わせないだけの実績をあげさえすれば、状況は変わる──。
俺はそう考えることにした。
俺は今までだって自分の力で戦って生きてきた。
戦って、戦って、戦って──いつかこの「負」の呪縛から解放され、自由になってやるのだ───。
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俺が配属されたのは、F支店の婦人服フロアだった。
F支店はTデパートの中でも比較的新しい中規模クラスの店舗で、周囲には競合店も多いなかなかの激戦区に建っていた。
俺は住み飽きた街を離れ、Tデパートが社宅として借り上げているというワンルームマンションへと引っ越した。
そこは、母親と暮らしていた忌まわしいアパートや、いい思い出など一つもない、あの薄汚いリメイクミシンの社員寮とは比べものにならない、快適な住処だった。
一歩、また一歩と、確実に這いあがっている自分を、俺は改めて実感していた。
高橋が「特別枠」を設けてまで誘ってくれただけあって、Tデパートへの就職は俺にとって実に有利な条件がそろっているといってよかった。
俺がその時持っていた知識と技術は、配属されたその日からすぐに役立つものばかりだった。
同期の連中は、流通やアパレルに関して驚くほど浅い知識しか持っていなかった。
小難しい業界用語はたくさん知っているようだったが、実際現場で役に立ちそうなものではない。
こいつらは四年間も大学で一体何を学んできたのだろうと首をかしげたくなる。
こいつらが呑気な学生生活を送っている間、俺はリメイクミシンで必死にミシンを踏み、取引先であるTデパートにも毎日通い続けていた。
そのおかげで俺は、Tデパートで扱うほとんどのブランドの特徴を熟知していた。
どのメーカーがどの分野に強いのか、それをどういう客層が買うのかといった知識はもちろん、普通の販売員では知り得ない、素材、縫製、裁断技術の良し悪しといったことまでもよく知っていた。
それらは全て、Tデパートの社員としての仕事に直接役立つ非常に有用な知識だった。
これならば、闘える。
他の奴らに勝てる見込みがある──。
俺を見下した全ての奴らを見返すために、俺はがむしゃらに働いた。
F支店の婦人服フロアは、すぐにめきめきと売り上げを伸ばし始めた。
自分の努力が数字になって表れる面白さで、さらにやる気が高まる。
入社して二か月たったころには、同期社員にならば誰にもまけない自信があった。
リメイクミシンにいた時と違い、仕事が純粋に楽しかった。
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