僕をソノ気にさせる-21
杏奈は参考書から下へ目を移したが、優也はこちらに視線を向けず書棚の方を見ていた。視界に自分のスカートと脚が見えて、
(あっ、そっかー……。いかんいかん。ユルいなぁ、私)
と優也が身を背ける理由に気づき踏み台を降りた。下半身が苦しくなったのを気づかれないように斜めに背を向けている優也を見て、可哀想なことしたなと思いつつも、初々しい反応にどうしても微笑んでしまう。
「実はね、私、家庭教師の月謝の他に参考書代としてお婆ちゃんにちゃんと貰ってるの。それ使うから大丈夫だよ。でもま、あの本はいいや。だいたい揃ったから。……ね、優也くん。優也くんは買いたい本ないの?」
「まだ、お爺ちゃんの本棚、全部読んでないし」
「えぇー、でもさぁ、優也くん、本好きなんだったら、こんなおっきい本屋さん、テンション上がるでしょ?」
「それは、いっぱいあって嬉しいけど……」
「じゃ、もっと見ればいいじゃん。まだ映画には時間あるし。欲しいのあったら、センセイ、買ってあげるよぉ」
「いい」
即座に優也は言った。「お婆ちゃんに言われてるから。先生にたくさんお金使わせたらダメだって。……お婆ちゃんにお金もらってきたから、欲しいのがあっても自分で買うよ」
何とか下半身が収まった優也は意志を固くした顔を杏奈へ向けた。
「もぉっ、せっかくのお出かけなのにマジメだなぁ。……、あ、そうだ! じゃ、私のために本買って? んで私は優也くんのために本を買うの」
「……何を買うの?」
「それはぁ、優也くんが私に読ませたい本。私も優也くんに読んで欲しい本を選ぶ。どう?」
「……」
優也は暫く考えてから、「それなら……。でも、僕のは、文庫本、限定で」
「えー、もっと高いのでもいいよ。箱に入ってるヤツとか」
「文庫本のほうがいいよ。僕もそうするから」
杏奈は暫く渋い顔を作って、腕組みしている指を自分の肘にトントンと叩いて考えていたが、
「……了解っ。じゃ、お互い同時に探そう。私、自分の大学の勉強の本もちょっとだけ見てくるからさ」
杏奈は壁際に並んでいる椅子を指さし、「先に選び終わってたら、あそこの椅子に座ってて。あの椅子って本読みながら待っててもいいとこだから」
そう言って通路を歩いて行った。優也が、あっ、と、その後ろ姿が参考書が入った重いカゴを持っていることに気づいた時には杏奈は角を曲がって書棚の向こうに消えてしまった。
男としての気の利かなさを恥じた優也がトボトボと歩みを進めると、図らずも天井から吊り下がるプレートは文庫本が並ぶ書棚であることを示していた。お互い文庫本だから鉢合わせするかも。杏奈を見つけたらカゴを受け取ろう。そう思っていたが、杏奈は先に研究書の方を見に行ったらしく、姿は見当たらなかった。
各出版社の文庫が並んでいる中、頭の中に様々な思いが巡り、今まで読んだ本のことを連想的に思い出させた。無数にある本を見ていく。時折読んだことがある本を見つけたり、名著でまだ読んでなくても梗概は知っている本もあった。だが杏奈に読ませたい本はなかなか見つけられなかった。
――書棚の中に白い背表紙の一冊の本を見つけた。読んだことがある。主人公を思い出すと鼓動が高鳴った。コレを贈り、杏奈がコレを読んだら、どう思うだろう? 手に取って杏奈に指示された椅子の所まで戻り、改めてページを捲ってストーリーを詳しく思い出す。だめだやっぱり別のにしよう、と思って立ち上がろうとした矢先、少し息を切らして杏奈が戻ってきた。
「ごめーん。待った?」
「え、いや……、先生、大学の本は?」
杏奈は脇をしめた胸元に文庫を抱えているだけで他には何も持っていなかった。
「あー、あんまりいい本が無くてさぁ……、でもっ」
脇に抱えている本をブレスレットを揺らしてポンポンと叩く。「優也くんへのプレゼントは選びやしたぜ? 優也くんも選んでくれたんだ?」
杏奈に手の中にある本をチラリと見られると、杏奈がコレを読みたいのか尋ねたくなって、
「うん……、まぁ……、これなんだけど」
と表紙を見せようした。
「あーっ! だめだめっ!」
杏奈が優也を制する。「あとで『何かなー』って楽しみに見るのがいいんじゃん。今は見せちゃダメ。いい?」
「そんな楽しみにするような本じゃないから……」
「いいの。センセイも見せませんからねっ。……じゃ、ここもういいよね?」
唐突に杏奈がすぐ側にあったレジへと歩き出したので、優也はカゴを奪うチャンスを失して急いで後を追った。
「じゃ、優也くんは優也くんで買ってきて。……ちゃんと、『プレゼントです』って包装してもらうんだよー」
優也はレジで、文庫本を差し出しておずおずと「プレゼントです」と言った。こんな本、プレゼントするなんて店員はどう思うだろうかと気になったが、店員は無感情に背後のスタッフへ包装を依頼する。リボンの付いた小さな紙袋に入れられた文庫本を渡されてレジの列から抜けた。