11.転獄-1
11.転獄
車の中で別れを告げよう。悠花はそう決心した。久しぶりに会ったバゼットは、悠花の様子の変化に気づいたに違いない。食事中話しかけても反応が薄く、微笑むにしてもまるで仕事の時に浮かべる営業スマイルのように乾いたものだった。相変わらずスマートな立ち居振る舞いを見せているが、バゼットも二人の関係に落ちている影を感じ取っているのかもしれない。もともと食事中に別れ話を切り出すつもりだった。しかし食事に入ったのは鉄板焼の店で、広い焼台の付いたカウンターに横並びで座り、しかも常に料理を供するシェフが前に立っていては、口火を切ることができなかった。二人きりの空間である車の中であれば大丈夫だろう。そしてバゼットと話をつけた後、あの男に会いに行くのだ。薄汚い性欲に溢れた卑劣な脅迫者に犯されるために。そして、おそらくまた自分は快楽に負けて男の性戯に濡れ、恥ずかしいほどの体の反応を見せてしまうのだろう。そんなふしだらな女を恋人にさせておくわけにはいかないし、脅迫男の前に出るときにはせめてもう浮気女でいることを避けたい。そのためには恋人関係を解消するしかないのだ。
BMWは六本木通りから少し入った路地にあるパーキングに停められていた。悠花が乗ると優しくドアが閉められる。助手席のシートに身を沈めて大きく息をついたところへ、スカートの上に置いていた手に人影が映った。
「……何だ?」
パーキングに二人の男が入ってきたのはバゼットも気づいていた。無言のままこちらへ近づいてきたから、隣の車の持ち主だと思っていた。だが、そのまま一人がバゼットの背後に立った方へ振り返ろうとした瞬間、背骨に沿って頭まで衝撃が走った。
「ぐうっ……」
くぐもった声で蹲まろうとするジャケットを掴まれて、ボンネットへとうつ伏せで押さえつけられた。
「な、何を……」
スタンガンを喰らわされた時に落としたキーを健介が拾い上げる。竜二は力を込めて片腕を背中に捻りあげながらバゼットを抑えこんでいた。
「は、悠花……。逃げろ……」
ボンネットへ伏せながら、フロントガラスの向こうにいる悠花へ辛うじて告げる。悠花は突然の暴漢に悲鳴を上げることもできず、シートに座っていることしかできなかった。逃げ出そうにもドアの外には二人の男が立っていて開くこともできない。
「大人しくしとけよ。大ケガしたくねぇだろ?」
竜二は更に力を込めて腕を後ろへ捻り込むと、バゼットの肩に激痛が走る。
「ぐうっ……! ……おいっ! こんなことしても、すぐに……」
バゼットが痛みを堪えながら背後の男に声を荒らげようとすると、
「だからっ、大人しくしろ、ってんだろーがっ、ボケがっ!」
と、腕を固めたまま、再度背中へ密着させたスタンガンの引き金を押した。
「がっ!!」
バゼットの体がボンネットの上で痙攣する。
「いやっ、バゼットっ……」
悠花が声を上げようとすると、ドアが開く音がする。運転席に乗り込んできた健介が、腕をまっすぐ伸ばしてきた。その手には鋭いナイフが光っている。
「ひっ……」
「アンタも静かにしときなよ? ……キレイなモデルさんの顔が傷だらけになったら困るだろ?」
「……っ」
いかにも酷薄そうな健介の表情を眺めながら、悠花は驚いていた。たまたま見つけた富有そうなバゼットを狙った強盗ではない。男たちは、自分がモデルであること知っていて、襲ってきている。
エンジンがかけられると、後部座席のドアが開いて、
「うらっ! とっとと入れよ。もう一発くらいてぇか?」
膝で蹴り上げながら、電気ショックの名残で抵抗ができないバゼットが無理やり乗り込まされる。健介がミラー越しに後ろを見やりながら、
「おい、ちょっと加減しろよ。あんまりやっちまうと、死んじまうぜ?」
と言って車を発進させた。殺人に対して大した躊躇も感じさせない平然とした表情が恐ろしい。あまり頑なに抵抗すると、バゼットが命を落としかねないほどの暴行も、悠花の体に傷をつけることも厭わない様子だ。
「お前ら……、何が目的だ?」
なのにバゼットは手負いになりながらも男たちを質した。
「あ? うっせーよ。すぐに分かっからちょっと静かにしとけや」
竜二がスタンガンを脇腹に押し付ける。今は会話を許さないようだ。悠花もバゼットも押し黙ったまま、車は目的地に向かって走り続ける。暴力団員っぽい風体でありながら、運転は丁寧でスムーズだった。凶器を持った男たちに車をジャックされていることに対向も並走も周囲は気づいてはくれなかった。