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仮住まい
【その他 官能小説】

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男ひとり-1

 警察署の玄関までついてきた警察官は神谷と同年輩である。何か想うところがあったのだろうか。自動ドアが開くと肩を軽く叩いた。
「まだ四十八歳。これからだよ」
慰めるような、元気づけるような、それでいて言葉に力のない言い方をした。
「すいませんでした……」
神谷が立ち止まって頭を下げると二、三度頷き、奥から呼ぶ声に振り向き、軽く手を挙げて背を向けた。


 住居不法侵入の現行犯で逮捕されたのが昨日午後、事情聴取の後、身元確認などのため一晩留置場で過ごすことになった。むろん初めての体験であった。
(落ちるところまで落ちた……)
すでに気持ちは沈み込んでいたとはいえ、さすがに警察の厄介になるとは思わなかったので気は滅入った。

 三日前に目的もなくアパートを出た。行き先も決めず、中央線に乗り、途中から奥多摩に行こうと思った。何か当てがあってのことではない。若い頃山に登ったことがふと思い出されただけである。登るつもりなどない。とにかく、どこかへ行きたかった。

 奥多摩駅を降りてしばらく頭の中が空白になった。
(どこへ行こう?……)
煙草を何本か吸い続けた後、バスに乗った。『日原』という地名が目に入ったのだった。
(昔、行った……)
そこから鷹ノ巣山という山に登ったことを思い出したのである。
 ところがしばらくして雨が降り始め、すぐに下車した。さほど強い降りではないが雨具の用意もない。帰るつもりで降りてから本降りとなった。駅へのバスは一時間以上なかった。
(こんなもんだ……)
ずぶ濡れになりながら行けるところまで行こうと駅に向かって歩きだした。

 やがて目に入った脇道に折れたのは雨がますます激しくなってきたからである。すでに散々濡れて、いまさら雨宿りでもないが、十月の雨に打たれて体が冷えて歩く気力も失せてきていた。
(大木の下にでも……)
探すうちに一軒の家が見えた。地元の民家ではなさそうな、ロッジ風の造りである。
(どこでもいいから休ませてもらおう)
体温が奪われたせいか急に疲労感に襲われた。

 声をかけたが返事はない。建物は傷んでいて人が住んでいる気配はなかった。庇がないので雨を防ぐことができない。いくら古くても鍵を壊して入るわけにはいかない。
 裏手に見つけたのがシャッターのついたガレージである。引き上げてみると、開いた。埃とカビの臭い、落ち葉が散乱する片隅に工具箱と古毛布が積んであった。それを見たとたんどっと疲れに被われて、濡れた服を脱ぐと毛布にくるまった。


 揺り起こされて目覚めると二人の警官が顔を覗き込んでいた。
「大丈夫か?」
すぐに状況が理解できた。後ろから女の不安な顔が見えた。
「ここは人の家だぞ」
「すいません……疲れてしまって、つい……」
「具合悪いのか?」
「いえ、何とも……」
「警察で事情聴くから」
「あんた裸かい」
「濡れたままだと冷えちゃうんで……」
「しかし、まだ服もズボンもびしょびしょだよ」
「いいですよ、そのまま着ます」

「あのう……」
女の顔が穏やかに変わっていた。
「古着でよければありますけど」
「あんた。ご厚意に感謝しなさいよ。不法侵入されてこんなこと言ってくれる人はいないよ」
「亡くなった父のもので、もう着ませんから」
 下着まで拝借して警察に連行されたのだった。 
 
 久しぶりに父親の別荘に訪れた女がガレージを開けて、
(人が死んでる!)
仰天して通報したということだった。
「本来なら書類送検なんだが、あちらが廃屋同然にしておいた自分も悪いからって、何とか穏便にって言うもんだから。まあ、あんたもいろいろあったようだし、今回は何もなかったことにするから。だが、空き家だって他人の家だからな」
「はい。すみません……」


 神谷の精神状態はその時、混迷の中で指針を見失っていた。
(自分の身の上に起こったことなど、たいしたことではない……)
世の中には想像を絶する人生を送った人はいくらもいる。……
 頭では理解していながら、やはり自分のことは別である。

 自己破産したのが一年前。大手住宅メーカーでバリバリだった三年前にライバル会社にいた学生時代の友人から独立の誘いを受けた。リフォーム会社を起業しようというのだった。
「二十年培ったノウハウと人脈を使わない手はない。自営業なら定年もないしな」
うまくいくことばかりが先走って、妻の反対を押し切って退職金をつぎ込んだ。

 わずか二年で行き詰った。ノウハウも人脈も後ろ盾があってのものだと痛感した。下請けからの請求書の山に、値引きをして仕事を取り、利益が減ってさらに苦しくなる。早めに見切りをつければよかったのだが、代表となっていた手前、意地になって悪循環を繰り返し、泥沼にはまってしまった。自己破産を決断した時には家も失っていた。
(子供がいなくてよかった……)
気の抜けた頭でそんなことを考えた。

 妻から離婚を迫られ、引き留めることは出来なかった。応じた後、男がいたことがわかった。
(仕方がない……)
後悔よりも肩の荷がおりた気持ちだった。

 
  


 




  


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