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波と風
【その他 官能小説】

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波と風-1

(1)


 砂浜をえぐり取るほどの波が打ち寄せている。
時に言葉をかき消す風の中で二人は一つになって佇んでいた。
 女の後ろから体を包み、寒かったので、彼は次第に強く抱きしめた。女はその強さを愛と受け止め、幸福に燃え立つ想いを新たにした。
 彼は女の項に頬を寄せ、溜息をついた。女はそれを愛撫と感じた。

「うそみたい……」
女が呟く。
「何が?」
「こうしていること……」
「ああ……」
彼は答えながら、嘘であってくれればと暗く沈み込んでいく心を感じていた。

「不思議……なんだか……」
「……」
「この海岸の先、あの山の向うが、もう……」
「……そう……」
「みんな喜ぶわ」
「そうならいいけど……」
「そうよ。……会ってね」
「……うん……」
ここまで来て引き返す理由は浮かばない。

 ときおり風が砂を巻き上げ、二人は顔を伏せて目を閉じた。
浜に人気はなく、遠く、朽ちた小船が半ば砂に埋もれている。

 彼は女の胸に手を当てた。
「喜んでくれるかな」
「そうよ。だから、産みましょうね」
やさしい物言いの中に妙な落ち着きが感じられた。
 彼は少ししてから擦り寄せた頬で頷いた。
女は自分の胸にあてがわれた彼の手を握り締めた。

(なぜ?……)
こんなに小さく薄い胸を欲しがった自分が信じられなかった。そして、いまはもう何も欲しくはないと、また溜息をついた。女はそれを愛撫と受け取った。


 演奏会のステージでバラライカを弾く女の姿は美しく、可憐に輝いていた。彼は女だけを見つめ、波打つ胸の揺らめきに酔っていた。
 女も、広い客席に彼を意識していた。姿は見えないのに体に熱を覚えていた。

 その夜、学生生活最後のステージに昂奮していたのと、彼の囁きが甘美な旋律となって女の心を高ぶらせた。
「愛してるよ……」
頑なに貞操を守ってきた女の体は呆気なく彼に身を任せた。

 抱きしめると壊れそうなか細い女の体は彼の胸で泣いた。消え入るような哀しげな声は暗く潜んだ部屋に染み込んで彼を怯えさせた。
 彼は女の涙のひとつひとつに口づけをして、これからの生活を話して聞かせた。それは将来に続く二人の生活だった。

「責任はとる……」
そう言ったのだろうか?
彼に記憶はない。ただ、女の涙が乾くまで抱き締めながら囁いたのだった。

 重い話をしたつもりはなかった。今時珍しいくらい身持ちの堅い女を陥落させた征服心が気持ちに余裕を生んでいた。
 
 明くる日から女は彼の腕に縋りついていた。彼の性欲を受け止め、言われるまま何でも応じるようになった。ぎこちなくも彼のモノを口に含み、指示をすれば上に跨って恥ずかしさに顔を歪めて動いた。
 そして数か月後、彼はもう一方の腕に小さな命を抱えることになった。

 そのことを知らされた時、彼は休みなく煙草をふかし続けて黙っていた。打つべき手は一つしかないと考えながら。……
 急いで金を作って病院へ。……
 女も道は一つだと思っていた。なるべく早く……そして言った。
「家族に会ってくれる?」

 彼は夜、幾度となく、両手で包めそうなささやかな女の尻を思い浮かべて怪しみ、憎んだ。本当なのだろうかと思った。その胎内に、虫の幼虫のように蠢く命が存在する。……
そのことが実感としてだけではなく、何度口に出して呟いてもその時点で納得も理解も出来なかった。

 その時から彼は女の体に何も感じなくなった。女が寄り添ってきても、髪のにおいや体臭に微かな嘔吐感さえ覚えることもあった。
「最近抱いてくれないね」
「……」
「赤ちゃんいても出来るのよ。フェラしてあげようか?」
女の笑顔が不快になり、気がつくと歯ぎしりをしていた。
 憎しみは女に対してというより、突き詰めると自分自身に対してか、それとも彼方の空にでも向けられたようにいつか朦朧としていた。

 ある日、彼は女の兄に引き合わされた。女の兄は鋭い目つきで彼を見据えたが、良識ある態度は崩さず、彼に握手を求めてきた。彼は俯いて頷き、微笑んでみせた。

 それから何日もの間、彼の気持ちと申し合わせたようにどんよりした日が続いた。
彼は毎日何かを思いつめたような顔で暮らしたが、実際は何も考えてはいなかった。ただ、一日に何度となくカレンダーの日付を見ながら、不快な動悸を感覚しているばかりだった。

 女は彼と会う度に卒業の日が近づくことを嬉しそうに語った。その日は彼が女の両親に会いに行く日でもあった。
 彼は女の、喜びに溢れた笑顔を見るにつけ、彼に抱かれて涙した夜のことが妙に疑惑的に思い出されてならなかった。
 いったい、初めて男を受け入れた女の気持ちとはどんなものなのだろう。嬉しいものなのか、哀しいのか、それとも……。

 女の故郷は列車で二時間余りの海沿いの町である。それに比べて彼の両親は遠い山里に住んでいた。
 女は卒業前に彼の両親に会わなければと言ったが。彼は遠すぎることを理由に引き延ばした。
「正式な時でいい……」
女はその瞬間、表情を引き締めた。

 彼にはまだ何か方法があるように思えてならなかった。何の方法?と問いながら、それは女を突き放す方法……もしくは、自分が逃げる策略……。

 女を愛していたのだろうか。だから抱いたのだろうか。
彼は正体のない笑いを浮かべる。一日中、女と別れることばかり考える日もあった。

 結婚してしまうのは早すぎないだろうか?
「それは僕も感じている。あいつにも少しは社会人としての生活もさせたかったし、君にしてももっと地盤を固めたほうがいいにはちがいない。でも、仕方がないからね」
最後の一言は彼を圧しつけた。君が早まったことをしなければ……。その言葉が女の兄の言う事の裏側にいつも用意されている気がした。 


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