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波と風
【その他 官能小説】

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波と風-3

(3)


 季節は春にさしかかっていながら、海にはまだ冬の色が残っている。薄い曇り空が広がっていた。
 風は一向に治まりそうもなく、むしろ激しさを増してきているようだった。

 体が冷えてきて体が震えてくる。女も震えていた。髪には砂粒が混じっていた。
女は彼の顔を仰ぎ、問うようにかすかな疑惑的な眼差しを向けた。
『なぜ、わざわざ途中の駅で降りたの?』
何も意図はない。駅名すら知らない所である。
『思い出になるだろう』
訊かれたらそう言うつもりだった。
『だって、今日は大事な日なんだよ……』

 海の活動は目まぐるしく変わり、それでいておそろしく無表情に見える。
手のつけられない茫洋たる眺めに見入っているうちに、彼は目が眩むような心地になって俯いた。

 彼は自分の未来を考えた。これまで何度も繰り返したことである。
苦しいことは考えなかった。楽しいことだけが想念の本流を流れた。いや、意識して流した。
 様々な出会いと出来事が待っているはずだ。自分は大学を卒業したばかりではないか。
(そうなんだ。自由に好きなことが出来るはずなんだ……)
しかし女との決まった未来が厳然と待ちうけている。


「果てはあるわ」
女が言った。海のことである。
「ないよ」
果てしない海……。彼がふと呟いた言葉に女が言ったのである。
「でも、元のところに戻ってしまうでしょう」
「それが果てしないということさ」
「でも、本当に果てしないほうがいいわ」
「……」
女は間を置いてから、
「ねえ……」
少し語尾を上げて、
「限りないものって、あると思う?」
「……さあ……」
彼にはわかっていた。
(愛……と言って欲しいのだろう……)
だが、何も言わなかった。

女の腹部に手を当てた。
「動く?」
「いやねえ。まさか、まだでしょう」
女の口調はどこか彼の母親に似ていた。
剃刀のような切り口の感覚が心に音もなく入ってきた。

 指先に少し力を入れて、圧した。
「痛い……」
「……」
もう少し強く、圧した。
「いたいわ」
「どうして」
「いやよ、やめて。赤ちゃんが……」
女は彼の手を押さえたまますすり泣きはじめた。

 彼は自分の動悸を聴いた。その拍動は一方的に頭の中へ流れ込んでいった。

 項垂れた女の豊かな髪を後ろから見つめているうちに、彼の両手は女の項に置かれていた。冷やかな感情が顔を覗かせた。
 女が振り向いた時、不気味な余韻を残して昂奮が消えていった。彼の手は項から女の頬にあてがわれた。海が吼えた。


 非情なほど荒々しい波の音を背に歩き出し、女の顔には恐怖の色が浮かんでいるように見えた。
「冷えるね」
女は返事をしなかった。

 彼は歩みを遅くして女の後姿を見ながらゆっくりと歩いた。
長い髪が狂ったように風に煽られている。足が動く度に小さな尻も左右に揺れた。
 彼は女の名を呼んだ。強風のためか聞こえないようだった。
(無視しているのか?……)

 彼は一掴み砂を手にすると、尻に向けて投げつけた。砂は風に飛ばされたが、女は何か気配を感じたらしく、髪を手で押さえながら振り返った。彼は立ち止って笑ってみせた。しかし、その頬が引き攣っているのは自分でもわかった。
 


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