その2 ちちろのむしと別れけり-4
「それは、どういうことなんだ?」
「わかりません。でも……もしかしたら、いよいよ寿命が……」
瑚琳坊は思わずお鈴の手を握りしめた。
「馬鹿なことを云うんじゃねえ。さあ、さっさとお参りを済まそうぜ」
二人はここに祀られている弁財天に最後の願を掛け、境内を出ようとした。すると、
「お二人さん、名物の桜餅でもどうかね?」
境内の片隅の小さな茶店で老婆がにこやかに手招いていた。その笑顔に誘われて立ち寄ると、塩漬けの桜の葉 に挟まれた餅が、お茶と共に運ばれてきた。
「秋でも桜餅が食べられるんですね……。まあ美味しい。何だか心に染みいる味です……」
お鈴は微笑み、上品に桜餅を口に運んでいたが、瑚琳坊はぼんやりと手にした餅を眺めるばかりだった。
(この塩漬けの桜の葉のように、お鈴も大樽に漬けておきゃあ、いつまでも一緒にいられるかもしれね え……)
我ながら馬鹿なことを、と思ったが、お鈴が死んでしまったら本当にそうしかねない瑚琳坊だった。
「お客さん、ここの湧き水はもう飲まれましたか?」
老婆があいかわらずにこやかな表情で言った。
「ここの水にはいわれがありましての。昔、三代将軍の家光様が鷹狩りにおいでの折、急病となられ、この寺 の井戸の水でお薬を飲まれたところ、たちまち快癒なされたという話じゃ。……それでこの寺が長命寺の号を授かったそうなのじゃよ」
「何だか御利益のありそうなお水のようですね」
お鈴が茶碗を両手に包みながら老婆に笑顔を返すと、
「お客さんの飲んでるお茶も、井戸の水で淹れたものじゃよ。だが、じかに飲んだほうが霊験あらたかなの じゃが……」
そこで二人は老婆の言葉に従い、井戸の水を飲んでみた。瑚琳坊はどうということもなかったが、お鈴は柄杓 を口にあてながら、じっと目を閉じていた。やがて、小さくため息をつくと、つぶらな瞳をさらに円くして彼を見た。
「み、水が、喉元を過ぎると、風に変わって身体の芯を爽やかに吹き抜けました」
「本当か? まさかそんな……」
「本当です。……境内に入った時といい、今といい、このお寺には何か不思議な霊力が潜んでいるようです」
「ということは、おれたちの願いが叶えられるかもしれないってことか?」
「それは、まだ、分かりませんが……」
ともかく二人は藁にもすがる思いで、今一度、弁財天に額ずいた。
その夜、小さな舟宿の二階の座敷で切なく愛を確かめ合った後のまどろみで、瑚琳坊は不思議な夢を見た。 夢枕に弁財天とおぼしき神々しい女性が立ち、厳かに彼に語りかけた。
「このところのそなたの信心、嘘偽りなく心底からのものと思われる。仏門より追い出されし後のそなたの所 行は感心せぬものであったが、お鈴と巡り会いし後、紆余曲折はあれど、そなたに仏性が芽生えた……。そなたがお鈴の延命を願う気持ち は、しかとこの弁財天に伝わりましたぞ。……よろしい、そなたの願い、叶えてしんぜよう。普賢延命菩薩のお力を借り、お鈴に三年の更 なる命を与えてつかわそう。加えて、その間、人として暮らせるようにとりはかろう。……願いが叶うたからというて、あだや信心をおろ そかにするでないぞ。このこと、ゆめゆめ忘れるべからず……」
心の高揚とともに目が覚めた。同時にお鈴も顔を輝かせて半身を起こしていた。