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ちちろむし、恋の道行
【歴史物 官能小説】

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その2 ちちろのむしと別れけり-19

「ちちろむし? そいつのどこが珍しい。父ちゃんは今忙しいんだ、あっちへ行きな」

「だって、白いんだよ。白いちちろむしだよ」

「ああ、そりゃあ脱皮したてのやつだ。だから白いんだ。……なんだ、こいつぁ雌じゃねえか。雌は鳴かねえ ぞ」

「ええっ、鳴かないの? ……なあんだ、つまんない」

小童が手にしていたちちろむしを放り投げ、蹴飛ばそうとした。

 その時である。酔っぱらっていたはずの瑚琳坊が畳敷きから疾風のように転がり出て、小童の脛(すね)を つかんだ。自分自身でも何故そうしたかは分からない。ただ、かがんで小童の脛をギリリとねじ上げ、土間の白いちちろむしを凝視してい た。やがて、小童が泣きだした。

「お客さん、うちの子供が何をしたっていうんです!」

「うるせえっ! てめえは子供に何を教えてやがるんだ。一寸の虫にも五分の魂。それを蹴飛ばそうたあ何事 だ! てめえ、このガキと一緒に手習いをやりなおせ!」

瑚琳坊の怒気に亭主は呆然と立ちすくみ、畳敷きで飲んでいたやくざ者も瑚琳坊らしからぬ真っ当な言葉にあ んぐりと口をあけていた。

「さ、ここに居ちゃ危ないぜ。外に逃げな」

剣幕から一転して瑚琳坊はちちろむしに優しく語りかけ、ひょいとつまみあげると手のひらに乗せ、戸口のと ころへ行って逃がそうとした。ところが、虫は瑚琳坊の手からなかなか地面に降りようとしなかった。

「どうした? 早く逃げな……」

白いちちろむしは手のひらの上で、もぞもぞしていたが、地面には飛び降りず、彼の腕をつたわって肩に登っ た。そうしてそこにじっと落ち着いてしまった。瑚琳坊は首を回してちちろむしを黙って見ていたが、突然、声を上げた。

「おう、亭主、叱りつけたりして悪かったなあ。おりゃあもう帰るぜ。勘定はあいつからもらってくんな」

やくざ者を指さすと、泣いている小童のわきにしゃがんで脛をさすった。

「……ぼうず、痛かったろう、御免な……」

詫びの言葉をかけると、そのまま、すたすたと店を出て行った。

「あ、兄い、待っておくんなせえ」

腰を上げるやくざ者に、瑚琳坊は振り向きもせず片手を上げた。

「勘定をたんまりはずんでやりな。たのんだぜ」



 瑚琳坊は皓々たる月夜の道を一人歩いて行った。その肩ではちちろむしがうずくまり、月明かりを浴びて白 さを際だたせていた。
 破戒坊主から紆余曲折を経て乞食に身を落とした者の顔は、今、不思議と穏やかだった。

 夜風が軽くそよいだ時、瑚琳坊は耳元で、微かな呼びかけを聞いたような気がした。

「おまえ様……」



(おわり)


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