その2 ちちろのむしと別れけり-16
「お鈴っ、お鈴っ、お鈴っ!」
激しく呼びかける他、彼にはなすすべがなかった。それでも彼女の顔が震えながらゆっくりと回ると、苦悶の 横顔から、か細い声が返ってきた。
「お、おまえ様……。お怪我は、ございませんでした、か?」
「ああっ、おれは大丈夫だ。それよりお鈴、おまえのほうが……」
「……背中が、とてつもなく、熱い……」
「お鈴、鳶口が刺さってる……。真っ赤な血が溢れてる」
「真っ赤、ですか……。やはり、本当に、人間になっていたのですね……」
お鈴の顔に微笑が浮かんだように見えた。が、それもすぐに消え、目蓋が細かく痙攣し始めた。
「……思えば、あの秋の明け方、蟷螂に殺されていたはずの、この私です。……鳶口がこうして刺さるのは、 蟷螂の鎌から逃れた代償。……これも因果……避けられぬ定め、だったのでしょう……」
「そ、そんなこたあねえ!」
「ああ……、おまえ様の、顔が、かすんでいきます……。もう、お終いなのですね……」
「何を云う」
瑚琳坊が振り向き、あたりに喚きちらした。
「誰ぞ、医者を! 早く医者を!」
しかし、蒼白いお鈴の手が、そっと彼のつま先に触れた。
「最後に、おまえ様を、お救い出来たこと、私は、嬉しく思います……。ですが……」
瑚琳坊は彼女をひしと抱き上げた。
「ですが……、おまえ様、を、残して逝くのが……心残り、です。……おまえ、さま、は、私が……いなけれ ば、真っ当に…………」
言葉が途切れ、細い首からフッと力が抜けた。
「お鈴っ、死ぬんじゃねえ!」
しかし、彼女の首はダラリと垂れたまま、それっきり動かなかった。
「お鈴―――――っ!」
瑚琳坊の口から絶叫が迸り、涙が堰を切って溢れ出た。
お鈴の亡骸を抱いたまま、天を仰いで何度も彼女の名を叫ぶ瑚琳坊に、雪が音もなく降り注いでいた。
お鈴に死なれ、瑚琳坊の心にはポッカリと大きな穴があいたようになった。家主を中心として長屋のみんな が執り行ってくれたお鈴の葬儀も、他人事のようにぼんやりと眺めたままだったし、難波屋からの遣いで手代の佐吉が来て、お峰はどうに か一命はとりとめたものの一生片端者になるかもしれないと告げたが、視線を合わせようとせず、まったく返事をしなかった。瑚琳坊を励 まそうという名目で取り巻き連中が性懲りもなく押し掛けてきたが、彼は無造作に小判をひとつかみ投げ与えると、蒲団をかぶって寝てし まい、取り付く島もなかった。長屋の隣のおかみさんが心配して握り飯を持ってくるのだが、手も触れずに飯粒が乾くままとなっていた。