姉と弟の特別稽古-3
誰が見ても一番の『士道不覚悟』は、弟子に焼き餅を焼く瓶之真自身だったが、そんな師の決定に異を唱える門弟達は居ない。それどころか、抜け駆け野郎がガックリと肩を落とす姿に、門弟達一同はニヤリと微笑んだ。
朝稽古の時、一枚の春画を共有してシコシコとしていた時は、門弟達には一体感が溢れていた。しかし1人の少女の登場が、それまでの一体感を雲散させてしまった。
この時代の江戸町では、男女の比率が均等ではなく、圧倒的に女子が不足していたから、これは仕方が無いことだった。
そんな門弟達の視線も気付かない程、持次郎の落胆は大きかった。
(ぐぬぬぬ、これを振り続けるのか…三日は肩が上がらなくなるぞ…)
持次郎は道場で一番重い木刀を手にした途端、あらためて稽古の過酷さがじわじわと身に滲みてきた。
「始め!」
瓶之真の掛け声に、持次郎は過酷な稽古を始めた。後は『稽古終了』の声を聞く事を心のを糧として、ただ耐えるしか無かった。
そんな持次郎を横目にして、瓶之真は竿之介に顔を向けた。
「竿之介、今からおぬしの技量を見る。これを使って、持次郎の横でしばらく素振りをして見せよ」
今日が初めての竿之介には、300匁の木刀は無理があった。瓶之真は少し容赦をして、竿之介には200匁(750g)の軽い木刀を手渡した。
竿之介は重さを確かめるように、手にした木刀を軽く振ってみた。2度、3度それを繰り返した後、横で素振りを続ける持次郎を見よう見真似で、自身も素振りを始めた。
「うわあ、竿之介、すごいすごおい」
ビュンビュンと空気を切る音が鳴る。意外と凛々しい弟の姿に、お満は感嘆の声を上げた。
「ようし、あたしだって」
お満はキラキラと輝かせた目を瓶之真に向けた。
「先生、お満の棒はどれですか?」
「ぼ、棒お!?」
普段の瓶之真ならば、神聖な剣の稽古道具を『棒』呼ばわりされたらブチ切れている。他の門弟ならば特別稽古級の罪だったが、勿論、瓶之真はお満にキツイ稽古をさせるつもりは毛頭ない。
今からの稽古でお満がへろへろになったら、後に予定している2人っきりの楽しい稽古が付けられない。それよりも、お満の可愛いさに免じて気にしない事にした。
しかし、そうは言ってもお満がこの場に居る限り、一応稽古の真似事をさせなければならない。なので瓶之真はお満に疲れを残さないように、竿之介よりも更に軽めの木刀を手渡した。
「うわあ、カッコいい。この棒でお稽古するんですね。それっ、それっ、えいや!」
初めて玩具を与えられた子供の様に、木刀を手にしたお満は嬉しくなった。そして嬉しさの余りに、周りの事も考えずにいきなり木刀を振り廻した。
「それっ、それっ、えいや!」
お満は木刀を振る事に熱中する余り、周りの事が一切目に入っていない。木刀の切っ先が、素振りをする竿之介の木刀に「カンッ!」と絡んだ。
「わっ!っぶねえ〜、あ、姉上、そんなに振りまわさないで」
しかし木刀という凶器に心を奪われたお満には、竿之介の言葉は届かなかった。
「それっ、それっ、えいや!」
「わっ、わっ、ひ―――!」
逃げまどう竿之介の頭にお満の木刀が掠め続けた。辛うじて姉の凶刃をかわし続ける竿之介が、幾度も姉を制するが、楽しい事に夢中のお満は一向に気付く気配は無かった。
本来ならば道場内での危険な行為は、師である瓶之真が注意をしないといけない。しかし当の瓶之真は注意をするどころか、無邪気なお満の可愛さにうっとりと見惚れていた。