その1 ちちろのむしと出会ひけり-1
(この物語は、過去に私が別なペンネームで他のサイトへ発表した作品に加筆修正したものです)
「坊主落(ぼうずおち)九族天を追出され」
文化九年、柳多留の川柳である。坊主落とは僧が堕落して還俗すること。九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自分・ 子・孫・曾孫・玄孫のこと。
瑚 琳坊は上州の、とある村の古寺の若い僧侶であった。が、彼は自ら進んで仏門に入ったわけではなく、二十歳を越えても、いつまでも働かずに ぶらぶらしていたのを、業を煮やした父親によって無理矢理剃髪させられたのだった。しかし物覚えは悪くなく、経文などはすぐに暗記し、写 経も黙々とこなしていた。だが、下半身の疼きが人一倍強く、不邪淫戒を犯して村の娘たちと交合すること六度あまり。ついに住職の怒りを買 い、
「おまえのような堕落したやつはここには置いておけん。即座に還俗せい!」
寺を追い出され、九族ことごとく赤っ恥をかいてしまったと親の叱責を受けた。ついには村にいられなくなり、親 類縁者の冷たい視線に追い立てられるように破戒坊主の瑚琳坊は西の信州に向かった。が、ふと思い直し、南の武蔵国へ方向を変え、やがて、 江戸へと足を踏み入れた。
「お師匠さん、お師匠さんってばぁ」
身体を揺さぶられ、瑚琳坊は目を覚ました。居眠りを邪魔されて不機嫌そうに顔を上げると、真っ赤な頬の手習い 子(私塾生)が取り付いて身体をまだ揺さぶっていた。
「もう八つ(午後二時頃)だ。お師匠さん、帰ってもいいだろう?」
見ると九人の幼い手習い子たちが、土間に降りてそわそわしていた。
「みんな、今日の手習いは書き終えたのか?」
「はーーいっ」
「じゃあ、帰っていいぞ。ああ、長助、おまえ月並銭(月謝)が三ヶ月ぶん溜まっている。帰ったら、おとっつあ んに忘れずに云うんだぞ」
「へーーい」
手習い子たちが蜘蛛の子を散らすように駆け去ってしまうと、入れ替わりに艶やかな着物のお峰が入ってきた。彼 女は難波屋という酒問屋の一人娘で、今年十八。美人というわけではないが、切れ長の目元が妖艶な印象を与えていた。お峰は瑚琳坊と銭湯で 出会い、ふとしたことから男女の仲となり、今では破戒坊主の年季の入った魔羅にぞっこんだった。
「ふふふ、瑚琳坊、また居眠りしてたの? それじゃあお師匠様失格ね」
含み笑いをしてしなだれかかるお峰。その頬に軽く唇を押しつけながら、瑚琳坊は手習いの師匠にはおよそ似合わ ない伝法な口調で言った。