その1 ちちろのむしと出会ひけり-4
それからしばらくたった望月の夜。瑚琳坊が久しぶりに博打で儲け、酒をかっくらって熟睡していると、誰かが 表の戸を、ほとほとと叩いた。彼はかなり酔っていたため、なかなか目覚めなかったが、「もし……、もし……」という密やかな女の声に好色 な耳が本人よりも先に反応した。
下 帯一本の姿でのっそりと立ち上がり、目をこすりながら、どす、どす、と奥の部屋から重い足どりで土間に降りる。心張り棒を外し腰高障子を 開けると、一人の若い娘が月の光の中に立っていた。娘はおずおずと、
「もし……、ここは瑚琳坊様のお住まいでしょうか?」
消え入るような声で尋ねた。抱きしめれば折れてしまいそうな細い身体。帯の前で行儀良く重なった白いきゃしゃ な手。小振りの簪(かんざし)の揺れるその下で大きく見開かれた黒々とした瞳。
(誰だ? この娘っこは。えらい別嬪さんだが……)
瑚琳坊は思わず生唾を飲み込んだ。
「あの……、ここは瑚琳坊様の」
「あ、ああ、おれが瑚琳坊だが……」
娘の顔に安堵の色が広がった。
「こんな夜更けに何用だい?」
娘は思い出したようにおじぎをすると、その可憐な容姿にふさわしい涼やかな声で言った。
「私の郷里はあなた様と同じ上州でございます。この江戸に出てきてひと月が経ちます。さるお方より伝え聞きま した。困ったことがあれば瑚琳坊様に相談申し上げよと……。そこで、夜分失礼とは存じましたが、こうして訪ねて参った次第でございます」
言葉遣いからしてお武家の娘かと思われたが、瑚琳坊は人から相談を受けるような大した人物ではなかった。しか し、娘は吸い込まれるような綺麗な瞳で、ひたと瑚琳坊を見つめている。
「まあ、ここで立ち話も何だ……。ちょっと入るかい?」
瑚琳坊は娘を招き入れ、煤けた行灯に灯を入れた。
「破れた座蒲団しかないが我慢して座ってくれ」
奥の部屋には酒臭さが満ちていたため、手習い子の机の並ぶ手前の部屋で瑚琳坊は娘と向かい合った。
「で、相談ってのは何だ?」
娘はうつむいたまま低い声で言った。
「あの、私、焼け出されたのです」
「火事かい?」
「ええ、三日前の風の強い夜、浅草元吉町一帯が燃え広がり、着の身着のままで逃げ出しました」
「ああ、もう少しで吉原の街まで焼けそうになったあの火事か」
「そうです」
「で、落ち着き先は決まったのかい?」
「いえ、まだ……」
娘はもじもじしている。