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ちちろむし、恋の道行
【歴史物 官能小説】

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その1 ちちろのむしと出会ひけり-18

 秋も深まり、紅葉が各地で妍を競う頃になると、お鈴の怪我もすっかりよくなった。だが、その頃から、やっか いな問題が生じ始めた。お鈴への縁談が次々と舞い込むようになったのだ。美貌の誉れ高く、教養もあり気だてもよい。そんなお鈴を世の男性 が指をくわえて黙っているはずがなかった。日本橋随一といわれる大店の主人が直接教場に足を運び、お鈴を息子の嫁に頂戴したいと申し入れ てきたし、今をときめく歌舞伎の市川団十郎が、市川系宗家のお内儀として迎えたいと願い出てきた。さらに旗本の家からは、お鈴を一旦お武 家の養女にしたうえで武士の妻として輿入れさせたいという話もあった。

 瑚琳坊の目の前にはお鈴獲得のための贈り物がうずたかく積まれたが、物欲に目が眩むはずの彼の表情は曇りが ちだった。

「人も羨む縁談ばかりだが、お鈴、おまえ、どこかに嫁ぐ気があるのか?」

瑚琳坊がお鈴の顔色を窺うと、彼女は即座に首を横に振った。

「私が人間の姿になっているのは、他の誰のためでもありません。命の恩人の、おまえ様のためだけでございま す」

そんな言葉に瑚琳坊はたまらなく嬉しくなったが、さて、どのようにして数多の結婚話を断るかが問題であった。 色々考えを巡らしたが、結局瑚琳坊は次のように答えるしかないと結論づけた。

「このお鈴は、私の従妹ではありますが、実は幼少の頃から誓いを結んでおりました。左様、私の許嫁(いいなず け)でございます。せっかくの皆様方の申し入れではございますが、こればかりはいくら金品を積まれましょうとも、首を縦に振るわけには参 りません。どうか事情をお酌みとり下さいまして、お諦め下さいませ」

縁談を持ち込んだ三者を前にして、瑚琳坊はついぞ使ったことのない丁寧な口調で断りの言葉を申し述べた。三者 はかなり渋ったが、瑚琳坊が岩のように動かないと見て取ると、ようやくのことで腰を上げ、丁重に返された贈り物とともに苦い顔で立ち去っ た。だが、一人団十郎だけは帰り際にお鈴の手を取り、こう云った。

「お鈴さん、この団十郎が見そめた証に、最後に小袖を一つ送らせて頂きたい。それくらいなら受け取って下さい ますね?」

後日届いた小袖には、裾のところに金糸銀糸で小さな鈴の重なり合う絵が施されていた。それと同じような衣装を 団十郎が舞台の上で身に着けたところ、たちまち団十郎贔屓の女性たちの間で[重ね鈴]の模様が流行り、その意匠が施された小袖や帯が一世 を風靡した。だが、当のお鈴だけは小袖に腕を通すこともなく、感謝の気持ちとともにきちんと畳んで箪笥の奥に団十郎の想いを仕舞い込ん だ。

「やっぱりお鈴さんは瑚琳坊の許嫁だったんだ。あたしゃ初めっからあやしいと思っていたんだよ」

長屋のおかみさん連中がひたいを寄せ合っていた。

「へえ、あんな別嬪が瑚琳坊なんかとねえ……、本当かねえ」

「許嫁だということが分かったとたん、手習い子のうち年かさのやつらが大方辞めちまったって話だよ」

「現金なもんだねえ。……でも、分かるような気もするよ。うちの宿六なんか、瑚琳坊を見ると親の敵(かたき) にでも会ったような面ぁするからね」

「ああ、しばらく瑚琳坊のやつ、町なかを無事に歩けないよ。どこから下駄が飛んで来るか分かったもんじゃない からね」

当分の間、長屋は瑚琳坊とお鈴の話で持ちきりとなったが、好奇の目は次第に温かい眼差しとなり、二人の祝言の 段取りまで勝手に差配しようとする者まで現れた。二人は仲良く教場をきりもりし、このまま平穏な日々が続くかと思われた。




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