地獄へ道連れ 1-2
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(二十メートルくらいは落ちたかな……?)
落下の時間などから、アーウェンはだいたいの距離を測る。
アーウェンに絡んだツル草は、落下の途中で外れたから、突き出ていた鉱石木や壁を蹴って衝撃を和らげながら落ち、傷一つ負わずに、ザラザラした硬い床へ着地できた。
自分の落ちてきた穴を見上げると、ラクシュに操られた鉱石木はようやく動きを止め、土埃がときおり、パラパラ落ちてくる。
鉱石木を伝って慎重に昇れば、地上に出るのは可能だろう。……人狼のアーウェンでも、かなり苦労はしそうだが。
地底へ完全に埋まっていた古代遺跡は、絡み合う鉱石木から放たれる、薄ぼんやりとした光りに照らされていた。一緒に落ちた者たちの姿も見えない。
しかし、いずれも魔物の類なのだから、よほど運が悪くなければ、あれしきの落下くらいで死にはしないだろう。
レムナも落下途中でツル草から翼を開放され、何とか体勢を整えていたのが、一瞬だけ見えた。
アーウェンが踏んでいる床は、ほんの数歩先で途切れており、その先にはもっと深い穴があった。
地面に空いた穴は広く、自分はまだ随分と浅い位置で止まれた方らしい。
(ラクシュさん……)
心臓を握り潰れるような苦しさに、アーウェンは歯軋りをした。
粉塵の中にチラリと見えたラクシュは、無表情で泣いていた。
間違いなく、自分は吸血鬼たちと共に、彼女を激怒させたのだ。
でも……それなら一体、どうすれば良かった?
彼女をまた、吸血鬼たちの奴隷も同然に、引き渡せば良かったのか?
違う……きっとラクシュ自身も、どうしたら良いか解らなかったのだろう。誰もが自分の主張を叫ぶだけで、相手の主張を受け入れられはしない。
だから彼女は、とにかく必死で止めようとした。
その結果、全員を残らず平等に、奈落へ落とすことになってしまったのだ。
この惨状は、ラクシュだけのせいではない。あの場にいた全員が引き起こしたも同然だ。
狼の鼻をひくつかせても、広すぎる地下空間の中で、ラクシュの匂いは感じられない。
「!」
代わりに背後から獣の匂いがして、アーウェンは振り返る。
ひび割れた壁の向こうから、山羊のような角を持ち、腕を六本も生やした巨大な白猿が顔を覗かせていた。
古代遺跡に住みつく、複数の獣を合わせた身体を持つ、|合成獣《キメラ》の一種だ。
ここは猿の巣らしく、よく見れば床には、硬い甲蟲の殻や大ネズミの尻尾などが散らかっている。
白猿は涎を垂らしながら、地底におちてきた獲物へ、嬉々として襲い掛かってきた。
オリーブ色の毛並みをした人狼は、床を蹴って大きく跳躍する。
数多い腕に掴まれるより早く、獣と人が混ざったようなアーウェンの爪が、猿キメラの頚動脈を引き裂いた。
続けざまに顔面も切り裂くと、猿キメラは悲鳴をあげて暴れ狂う。赤黒い血飛沫が巻き散らかされ、すでに半壊していた床や壁がどんどん崩れていく。
アーウェンは急いで、猿キメラが現れた奥壁の方へと避けた。
しかし、さんざん暴れ狂ったあげくに、出血多量で猿キメラがようやく床に倒れると、周囲の壁の隙間からざわざわと音がし、平べったい多足の蟲が何百匹も現れ、動けなくなった猿キメラに群がる。
白い巨体が、あっという間に蟲で覆い尽くされ、無数の小さな口が肉を食む音を立て始める。
「いっ!!」
遺跡で蟲に会ったことくらい、アーウェンにもあったが、これは流石にぞっとした。
這いよってきた蟲の一匹を蹴り飛ばし、さらに深い遺跡の奥へと駆け込んだ。
どうやらここは大きな広い建物だったらしい。天井は高く、鉱石木があちこちから生えて、迷路のようになっている。
「ラクシュさああん!!!!!」
不用意な大声は危険だと承知だが、仕方なく叫んだ。
しかし、周囲からは正体不明の不気味な這いずり音が聞こえるだけで、返事はない。
床には瓦礫が散乱し、鉱石木の光りが、元はなんだったのかも解らない骨を照らしている。
アーウェンは牙を噛み締め、斜め後ろに拳を振るった。
背後から針を突きたてようと飛んできた顔大の羽虫が、潰されて壁にベチャリと張り付く。
手についた緑色の体液が気持ち悪い。
アーウェンは壁に拳をなすりつけて拭い、瓦礫と骨を踏みつけながら、さらに奥へと進み始めた。
死骸、瓦礫、朽ちた木肌……視界に入るのは、ひたすらそればかりだ。
地獄という場所は信じていなかったが、ここはその名に相応しいのではないかと思った。