世界で一番、許せないのは……-3
「ラクシュさん!! 離してください!」
アーウェンは、片手で自分をやすやすと抑えるラクシュに懇願した。
しかし、ラクシュは悲しそうな顔でアーウェンと吸血鬼たちを見比べ、ゆるゆると首をふる。
「ラクシュ……まさか、お前さんがキルラクルシュだったなんてな」
自慢の顎ひげや髪を血で汚したクロッカスが、ラクシュを眺めて口をひらいた。
「うん……隠してた……ごめん」
ラクシュが俯き、ボソリと告げる。
「気にすんな、俺も聞かなかった。それにな、都合の悪いことを、やたらベラベラ喋るのは、正直者を通り越した、ただの馬鹿だ」
クロッカスは視線だけを動かし、オリヴァルスタインを横目で見る。
「よぉ、色男の兄ちゃん。俺を罠にかけた、クソったれのドミニクから聞いたぜ。
要するにお前らは、俺とアーウェンを人質に確保して、ラクシュをこきつかおうって腹だろうが。……ったく、恥知らずが」
オリヴァルスタインが、にこりと笑った。
「黙れ、下等な半獣め。最後の命はせいぜい大切にするものだ」
野原の地面に這っていたツル草が持ち上がり、クロッカスの喉に絡みつき締め上げる。
「ぐ、う!」
「オリヴァルスタイン……だめ」
ラクシュが抑揚のない声をあげ、アーウェンを押さえていない片手を、クロッカスの方へ向けた。彼の喉を締め上げていたツル草が離れ、まるで見えない手で取り合いされているように、うろうろと宙で蠢く。
「……私、皆が好き」
ぼそりと呟かれたラクシュの声が、アーウェンの耳に滑り落ちてきた。
「お願い……クロッカス、離して……もう、私のこと、忘れて……皆を、殺したくない……」
あいかわらず、ラクシュの顔は表情を浮かべることもなく、抑揚のない平坦な声だ。
それでもアーウェンの背中を押さえる手は微かに震え、伝説の女吸血鬼の全身から、どうしようもない悲しみが伝わってきた。
「まぁ、キルラクルシュ。あんまり酷すぎるじゃない!」
赤毛の幼い少女の姿をした吸血鬼が、腰に両手をあてて甲高い声を放った。
「窮地に陥った私たちを、貴女は見捨てるの? 百年も貴女に血を与えてきた私たちを! あんなに辛い苦痛を堪えてまでも、貴女に血を与えて続けたのに!?」
「マリアレナーシュ……私……」
「貴女さえ協力してくれれば、私たちは、この犬も猫も与えてあげると言っているのよ!? 貴女はなんて冷たいの! 私、悲しくてたまらないわ!」
赤毛の吸血鬼は、肩を震わせて両手で顔を覆い、しゃくりあげはじめた。
ラクシュはいつもよりずっと白く血の気の引いた顔で、黙って唇をかみ締めている。
その顔をじっと見ていたクロッカスが、深いため息をついた。彼の首周りでは、あいかわらずツル草が絡んだり離れたりと、見えない手で取り合いをされている。
「……アーウェン。自分の身は、てめぇでなんとかしろ」
不意にクロッカスから声をかけられ、アーウェンは驚いた。
「俺が世界で一番許せねーのはな、こういった時に、足手まといになるやつだ」
「クロッカスさん……?」
「それからな、ラクシュを一番理解してるのは、お前だろうが。この悪いダチと手を切るように、死に物狂いで説得しろ」
九尾猫の激レアな男は、口元にいつもの人を食ったシニカルな笑みを浮かべた。
「な? オジサンを、がっかりさせてくれるなよ」
次の瞬間にクロッカスは、大きく頭を振って反動をつけ、ツル草の主導権を取り戻そうと必死になっていたオリヴァルスタインの方へ倒れこむ。
ナイフのようになっていた指が、クロッカスの喉を切り裂き、赤黒い噴水が噴きあがった。
「――っ!!」
アーウェンが声もあげられずに見つめる中、最後の尾が、見る見るうちに色を失っていく。
赤黒い血溜まりに崩れていくクロッカスの身体は、何度か痙攣した後で、完全に動きを止めた。
「あ、あ……」
ラクシュがブルブルと身を震わせて、アーウェンを押さえる手が離れた。
「ラクシュさん、すみません!!」
アーウェンは飛び起き、両手も使って思い切り跳躍する。
今度はラクシュに取り押さえられず、驚愕にうろたえる吸血鬼たちへの距離を一飛びで半分まで縮めた。
もう一度、手足に力を込めて地面を蹴る。
一番近くに手前にいた、銀色ひげを蓄えた吸血鬼の首へめがけ、口を大きく開けて跳びかかった。