狼と七人の吸血鬼-4
「久しぶりだね、キルラクルシュ」
美しい旋律めいた男の声が、背後からかけられた。
アーウェンが牙を剥いて振り向くと、背後の男はもう移動しており、他の黒マントたちから高笑いが聞こえた。
「ホホホ、やだわぁ。貴女が獣と暮らしていると聞いたけれど、まさか本当に、それの血を吸っているなんてね」
「なんだ。他の魔物でも良いのなら、もっと早く教えればよかったのに」
「知っていれば、お前のために、魔物を好きなだけ買ってきてやったよ」
「まったく、昔から言っているだろう。お前は言葉が足りないのだと」
「貴女が出て行った後、わたし達がどんなに悲しんだか、解らないでしょうね」
吸血鬼たちは、周囲を踊るようにぐるぐると回り囲みながら、勝手な言い分を口にした。
そしていっせいにさえずる。
「さぁ、迎えに来たよ。同じ泉より生まれし我が同胞。もう一度、我らの王国を作ろう」
「黙れ!!」
アーウェンは怒鳴り、姿勢を低くして飛び掛る体勢をとる。
しかし、ラクシュの白い手が、すっとそれを遮った。
「アーウェン……だめ」
ラクシュの赤い胡乱な瞳は、夜闇の中ではいつもより輝いているように見えた。宝石のようなと言うより、真っ赤に焼けた石炭のような色だ。
彼女はかつての仲間たちを見渡し、無表情のまま、ゆっくりと抑揚のない声を発した。
「私の名前、これからずっと、ラクシュ。皆の、番犬には、もうならない……」
低くボソボソとした声だったけれど、アーウェンが今まで聞いた彼女の言葉で、一番きっぱりとしたものだった。
しかし吸血鬼たちは、この返答も予想していたらしい。驚き怒るどころか、クスクスと忍び笑いを交し合った。
「やはりそうか。お前は馬鹿な連中のたわごとに、深く傷ついたんだね」
ラクシュの前でピタリと止まった黒いマントは、最初に声をかけた男だった。六人の中で一番背が高く、マントの襟元を三日月型の金ブローチで留めている。
「お前がなぜ急に出て行ったのか、我々は後で知った。一族に、お前を恐れる者がいたのは事実だ。
すまなかったね。条約後に産まれた彼らは、お前の偉業を理解しきれていなかったのだよ」
黙っているラクシュへ、男は甘く囁きかけた。
「だが、その連中も死んだ。突然やってきた男とハーピー女に、皆殺しにされてしまったよ……お前が必死で戦った末に人間から申し込まれた条約は、今度は一方的に破られたのだ」
男は実に絶妙に声のトーンを落とし、悲しみを表現してみせた。
「それ、知ってる……でも……」
口を開きかけたラクシュを、男は片手で制止した。
「我等を忘れたりはしないだろう? お前を傷つけた若い者とは違う。百年間の戦いを共にした我等の声を、一人残らず覚えている。そうだろう?」
「……クリステルライーナ」
ラクシュがローブの一人を指してボソリと呟くと、その吸血鬼がフードを脱いだ。
プラチナブロンドの長い髪を波打たせた、妙齢の美しい女吸血鬼が、真っ赤な唇で優美な弧を描く。
「……エンゲルブレークト……グレゴリシュノルチ……イェレシュラルフ……マリアレナーシュ」
長い異国の名が呼ばれるたびに、吸血鬼たちが一人ずつ顔を露にする。
栗色の短髪の青年、豊かな銀色のひげを蓄えた壮年の男、黒髪をした少年、赤い巻き毛のあどけない少女……タイプに違いはあれど、どれも整いすぎるほど整った顔立ちだった。
吹きつける夜風が、やけに生ぬるく不快に感じる。
奴らの喉を残らず引き裂いてやりたいのを、アーウェンが必死で堪えている傍らで、ラクシュは最後に、目の前の男を見据えて呟いた。
「……オリヴァルスタイン」
黒いフードが払い除けられ、黄金色の髪とスミレ色の瞳をもつ青年の顔が現れた。まるで名匠の彫り上げた美神のように、身震いするほどの美しさをもつ細身の青年だ。
白いミルク色の星河と月が、人狼と七人の吸血鬼を、静かに青白く照らしている。
「ああ、嬉しいよ。今夜は本当に素晴らしい夜だ」
オリヴァルスタインは夜空を仰ぎ、芝居がかった気障な仕草で両手を広げ、高らかに声をはりあげた。
「私がお前を泉から抱き上げ、人間の街に連れて行ったのも、こんな夜だった。
覚えているだろうね! お前が最初に飲んだのは、私の血だった!
可愛い、私のキルラクルシュ!!」