一枚足りない!-5
「驚かせてすみません。ラクシュさんは話すのが苦手で……貴女をただ、もう一つの噴水まで送りたかったんです。その足では大変そうですから」
「え……」
「良かったら、水樽の女神噴水まで送りましょうか? 大通りの反対側で、少し距離がありますから」
突然の申し出に、少女は警戒心を露にして、身を包む灰色のマントを握り締めた。このまま売り飛ばされでもしないかと、心配しているのだろう。
賢明な用心だ。
そういう事を本気でする輩も、この国には履いて捨てるほどいる。
彼女が断るなら、アーウェンは道だけ教えて降ろすつもりだった。
多少は大変だろうが、行き倒れて死にそうなほどでもない。
だが少女は、アーウェンたちと、傷だらけの自分の足を交互に眺めて溜め息をつき、ペコリと頭を下げた。
「……お願いします」
事態が収拾すると、残っていた野次馬たちもつまらなそうに去り、アーウェンはラクシュから台車を受け取った。
回復した今では、腕力もラクシュの方がはるかに強いのは千も承知だが、細身の彼女が街中で重そうな台車を軽々と引いていれば、大注目を浴びてしまう。
黄色いレンガ道を、ガタゴトと台車を引いて歩き、鈴猫屋の前でアーウェンは立ち止まった。
今朝の青年客はもう帰ったらしく、クロッカスが店の中から、大きな窓ごしに手を振っている。
「ラクシュさん。クロッカスさんが待っていますから、先に店へ行ってください」
「ん」
アーウェンが言うと、ラクシュは頷き、魔道具の入った袋たちを台車から店に運ぶ。
最後の袋を持ってスルスルと店に入っていくラクシュを、荷台の少女はじっと眺めていたが、ふいに腰を浮かせて口を開きかけた。
「あ……っ!」
荷台から少女が身を乗り出した拍子に、灰色のフードがハラリと後ろに落ちた。
あどけなさの残る少女の顔立ちと、黄緑色に赤いメッシュの散った鮮やかな短髪が露になり、その下にはハーピー特有の黄色い瞳があった。
「っ!」
「ハーピーだったんですか」
慌ててフードを被った少女を眺め、アーウェンは呟く。
ハーピーの翼は体内へ自由に収納できるが、他の種族にはありえない色彩の髪と、特徴的な黄色く丸い瞳で、すぐに判別できる。
「え、えっと……うん……だけど、その、今はちょっと、飛ぶのは……」
「わざわざ説明しなくてもいいですよ。ワケありなんて、この国じゃ珍しくないし」
しどろもどろで言い訳を始めた少女を、アーウェンは笑って押し留めた。
あえて空を飛ばずに身を隠さなくてはいけないほど、どこかで何かを『やらかした』のだろう。
道理でくたびれきっているはずだ。
ハーピーは歩くより飛ぶほうが得意で、長距離を歩くのは苦手なのだから。
彼女がラクシュと自分の身に降りかかる火の粉ならば払うけれど、そうでなければアーウェンのあずかり知らぬ事。
クロッカスのようなお節介はともかく、他人の過去に深く突っ込まないのが、この国での流儀だ。
「……うん」
少女は両手でしっかりとフードを押さえて頷き、アーウェンはまた黙って台車を引いて歩き出した。
街の反対側には、水桶とひしゃくを持った女神像の噴水がある。
この二つはよく混同されて、少女のような待ち合わせの悲劇が起こりがちだった。
「待ち合わせの相手はいますか?」
アーウェンは台車をとめて、こちらも賑やかな噴水前の広場を見渡す。少女は噴水の周りにいる人々を熱心に眺めていたが、唐突に喜びの声をあげて荷台から飛び降りた。
「ディキシス!」
少女が駆け寄った相手を見て、アーウェンは少し驚いた。
暗緑色の外套を着た長身の青年は、今朝クロッカスの店ですれ違った客だった。
少女が青年へ何か話し、青年が大股で近づいてくる。
「連れが世話になったようで、大変申し訳なかった」
そしてふと、アーウェンを思い出したらしい。
「確か今朝、魔道具屋で……」
「ええ。あの時は道を譲ってもらいましたから、これでオアイコですね」
アーウェンは笑って答える。
「あ、あの……!」
長身の青年の後ろから、ハーピー少女がちょこんと顔を突き出した。
「本当にありがとう。それから、あの白髪の子にも……変人なんて言って、ごめんなさい」
おずおずとした様子に、アーウェンは噴出しそうになった。
まるでラクシュと出会った時の自分を見ているようだ。自然と頬が緩み、深く頷く。
「俺も、ラクシュさんは変わってると思いますよ。……でも、世界一大好きなんです」
「レムナ、なんの話だ?」
首を傾げるディキシス青年へ、レムナという名前だったらしいハーピー少女が、ラクシュとの経緯を説明しだす。
待ち人を見つけた嬉しさで、疲れなどどこかに吹き飛んでしまったという様子だ。
ハーピーは産まれて最初に見た相手に強烈な恋をするが、おそらくはあの青年が、彼女のお相手なのだろう。
アーウェンは微笑ましい彼らに別れをつげ、鈴猫屋にむかうべく、来た道を戻り始めた。