一枚足りない!-3
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黄色レンガの敷かれた宿場街は、薄曇りでもあいかわらずの賑わいだった。
門をくぐるとすぐに目に付くのは、水瓶を肩に担いだ女神像の飾られた噴水だ。
ここは街の代表的な待ち合わせ場所になっており、円形の石縁には人待ち顔の男女が大勢腰掛けて、辺りを見渡していた。
アーウェンは噴水の前を通りすぎ、新鮮な食物を満載にした市場を、足早に駆け抜ける。
商店街の店は、やっと開店の札をかけはじめた頃合で、アーウェンが鈴猫屋にたどり着くと、ちょうどクロッカスは店先の花壇に水をやっている所だった。
「―― なんで、ラクシュに教えちゃダメなんだ?」
店に飛び込むなり、ラクシュに討伐事件の記事を見せるなと要求したアーウェンに、クロッカスが思いっきり不審そうな視線を向けた。
「はっ……はぁ……なんでも、です」
アーウェンは大きく肩で何度か息をして、やっと答えた。
家から街まで全力で駆け続けてきたせいで額には汗が光り、心臓は激しく鼓動している。
木製のカウンターに乗っていた新聞をギロリと睨み、忌々しい紙束を掴もうとしたが、クロッカスの手が一瞬早くそれを取り上げた。
「っ!」
必死で新聞を奪い取ろうとしても、九尾猫の腕はしなやかに動き、掴もうとした場所から、幻のように移動してしまう。
「クロッカスさん! 渡してくださいっ!」
「嫌だね。お前、破くだろ」
「だって、ラクシュさんに見せる気でしょう!」
「俺が自分で買った新聞を、誰に見せようと勝手だろうが。それなりの理由があるなら、止めてやるけどな?」
「だ、だから、それはちょっと……っ!」
こんなやりとりをしながら、店中を飛び回る。
単純な腕力なら負けるはずもないが、九尾猫は人狼よりもはるかにすばやい。
おまけにアーウェンは早朝から精神的にも肉体的にも疲れきっており、圧倒的に不利だった。
しまいに息を切らしながら壁のネジマキ時計に視線をやれば、そろそろラクシュが街に着いてしまう頃だ。
「くぅ……わかりました。その代わり、絶対に内緒ですからね!」
「お、ようやく白状する気になったか」
天井梁に飛び上がっていたクロッカスは、アーウェンを眺め下ろして片手の新聞を振る。
「壊滅した吸血鬼の根城は、ラクシュさんの出身地なんです……あまり良い思い出は無かったようですけど」
アーウェンが当たり障りのない箇所を口にすると、クロッカスは梁の上で眉を潜めた。
「もしかして、同族の血を吸うから追い出されたってトコか?」
「ええ、まぁ。でも、さすがに壊滅なんて知ったら悲しむと思って……」
「なるほど。ラクシュは吸血鬼にしちゃ、妙にお人よしだからなぁ」
中年の九尾猫は、アーウェンをチロリと眺め降ろして、きちんと整えた短い顎先のひげを撫でて溜め息をつく。
「ふぅん。それで人狼ボウヤは、必死になって隠してるのか」
そしてクロッカスは音もなく梁から飛び降りると、カウンター裏の引き出しから私物の魔道具を取り出した。
赤い鉱石を組み込んだブレスレット型のそれを手首にはめて、新聞紙の一枚目だけを握り締める。
真紅の炎が吹き上がり、見る見るうちに新聞紙を焼き尽くした。
「あちっ、ち」
クロッカスは小さな悲鳴をあげて、手から消し炭をパラパラと払い落とす。それから壁際の箒とチリトリを取って床を丁寧に掃いた。
「……ありがとうございます」
拍子抜けした気分でアーウェンが呟くと、床を綺麗にし終わったクロッカスが、肩越しに振り返った。
少し、呆れたような顔だった。
「まったくお前を見てると、失敗だらけの若かりし頃を思い出す。おじさん、黒歴史を見せつけられてる気分で、恥ずかしいったらないぜ。勘弁してくれ」
「な!?」
「こういうのは、他人が説教しても無駄だからな……せいぜい後で、自分の勝手さを反省しろ」
「……どういう意味です?」
目を見開くアーウェンの頭を、クロッカスは丸めた残りの新聞紙でポンポンと叩いた。
「ほら、どうせラクシュとどっかで待ち合わせしてんだろ? 早く連れてきてくれよ」
「は、はい」