復讐やめますか? それとも人間やめますか?-5
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青年は当主に、明朝の出立まで世話になると告げて退室した。
教えられた部屋の扉を静かに開けると、灯りの消えた室内に、ぼんやりと輝く細かな光の塊が見えた。
さすがにサンダルは脱ぎ、大きな翼も体内に引っ込めてはいるが、全身に鉱石ビーズの魔道具をつけたまま、ハーピー少女は寝台の隅で膝に顔を埋めていた。
扉が開いた気配に、レムナは弾かれたように顔をあげ、青年を見ると顔を輝かせる。
「ディキシス!」
裸足のまま飛びつくレムナを、青年は片手で受け止めた。
「……遅くなったな」
部屋は暗くても、ディキシスの目は人間だったころより、ずっと良く見えるようになっていた。
褐色の頬に残る涙の痕を撫でると、レムナは幸せそうにな声をあげて目を閉じた。
ディキシスは外套とブーツを脱いで寝台に座り、漆黒の剣をすぐ傍らに立てる。
それから、とても軽いハーピー少女を抱えて、膝の上に向かい合わせに乗せた。
ここはおそらく、一番いい客室なのだろう。こざっぱりと掃除され、寝台も広々としている。
寝台の傍らには小さなテーブルがあり、水差しとコップに、ハーピーの大好物であるユリスの実を盛った器まであった。
「たいした客人待遇じゃないか。大仕事の後なんだから、もっとのんびり楽しんでろよ」
手付かずらしい器を見てディキシスが苦笑すると、レムナは拗ねて唇を尖らせた。
「楽しもうとしてみたよ。ディキシスが死んだり捕まったりするはずないし。でも……もしかしたら、って……」
そこまで言うとレムナは声を震わせ、うつむいてしまった。
「じゃあ、今から楽しめ」
ディキシスは少女のほっそりした顎に手をあてて上を向かせる。大粒の葡萄に似たユリスの実を一つとり、自分の唇に咥えた。
「わっ! ディキシス、大好き!」
途端にレムナが、嬉々とした表情を浮かべた。
褐色の腕がディキシスの首に回され、口移しに実を自分の口に含む。刷り込み相手から、こうやって食べ物を与えられるのが、ハーピーにとっては無上の至福らしい。
「ん、もっと……」
夢中で唇を合わせられる。何度も新しい実を咥えては少女に与えた。重なる唇を渡って、甘酸っぱい果実の味がディキシスにも伝わる。
しまいにようやく器が空になり、名残惜しそうに唇が離れていく。
「……ごちそうさま」
膝から降りようとしたレムナを、とっさに抱きしめて引き留めた。
「ディキシス……?」
普段、ディキシスからは、こういう事をなるべくしないように努めていたから、きっと珍しい行為に連発に驚いているのだろう。
求愛給餌だって、レムナに強請られなければ滅多にやらない。
「……十ニ年もかけて、やっと念願の半分が適ったんだ。俺も少し、興奮してるらしい」
褐色の首筋に顔を埋め、言い訳のように呟いた。
身体を離そうと思うのに、どうしても離せない。
ようやく目標の半分を達成したと言うのに、達成感も高揚もない。ただ、なにかに掴まらなければ、もう立ち上がれなくなってしまいそうだった。
本当は脆くてとても弱い自分を叱咤しようと、ディキシスは必死でうめく。
「いや……まだ、やっと半分だ。……キルラクルシュを、俺はまだ殺していない」
広場で晒されている死体を、ディキシスも最初は本物だと思っていた。
黒い森で吸血鬼たちと対峙したとき、黒い鉄仮面をつけた黒髪の女吸血鬼はあれ一人で、他の吸血鬼たちも、彼女をキルラクルシュと呼んでいたのだから。
あまりにあっさりと斬り殺せた時は、拍子抜けしたほどだ。
仮面を剥いだ顔は半壊して苦しみに歪みきり、判別は難しかったが、十二年前に、『本物のキルラクルシュ』を見ているディキシスは、腐りかけた顔を何度も見直し、やはり違うと確信した。
しかし、吸血鬼の根城のどこを探しても、本物は見つからなかった。
あとは逃げた吸血鬼を追いかけて、手がかりを探すしかないだろう。