ゴハンですよ-1
―― 眩しい陽光に目が眩む。
熱い陽射しがジリジリと肌を焼いた。
吸血鬼は数日の天気を読める。今日の眩しい太陽は、一日中輝き続けるだろう。
キルラクルシュはうな垂れて目を閉じ、カーテンを開けた窓辺に立ち尽くしていた。
彫像のように動かず、じっと陽の光を浴びていた。全身から細かな白煙が立ち昇っても、ずっとそうしていた。
天井の高い八角形の部屋は静かで、敷かれた赤いカーペットに、黒い影が長く伸びている。
やがて日が沈み、また夜が明けて朝日が昇っても、彼女は微動だにしなかった。
瞳を閉じて俯き、長い黒髪から徐々に色が抜けていくのも、気づかなかった。また日が沈み、また夜が明けたが、陽の光は差さない。空には厚い黒雲が立ち込め、雨を降らせていた。
「……」
ようやくキルラクルシュは目を開き、己の頑丈さに呆れた。
元々白かった肌は更に血の気を失い、髪は真っ白になっていたけれど……生きていた。
普通の吸血鬼なら、一時間でひどい火ぶくれができ、数時間で残らず灰になるというのに。
塔の窓からはるか下の小道を、仲間だと思っていた者たちが歩いている。
傘をさしたり、マントのフードを被ったりして、雨の日だけの外出を楽しみに行くのだ。
供物の金銀を持ち、人間の街で欲しいものを買う。
人間の街では、お金さえあれば大抵のものが買えるらしい。
―― ああ、お金で、欲しいものを、買うんだね……。
キルラクルシュは、買い物をしたことがない。欲しいものなら、もう全部持っていたから。
でも……今はどうだろう?
身に付けた黒い膝丈のローブと、灰色の室内スリッパを眺めおろし、考えた。
手指の爪をナイフのように変え、真っ白になった長い髪を掴んで切る。パサパサと赤いカーペットへ、白い髪が落ちていった。
作業を終えると、ガラス窓には別人のような女が写っていた。
闇色の長い髪をした、吸血鬼キルラクルシュなど、もうどこにもいない。
部屋の隅に置かれた木箱から、一番奥に押し込んであった黒いブーツと黒革の衣服に、黒いマントを取り出す。
彼女が念じると、両手の中でそれらは燃え上がり、一瞬で灰になった。
もう一度箱を探り、今度は黒鉄の仮面を取り出す。
軽く指先を動かして鉄の仮面をねじり、ちぎって無数の鉄くずにした。白い髪の散った赤いカーペットへ、黒い鉄の欠片は投げ捨てられていく。
最後の黒い欠片を投げ捨てた時に、ようやく欲しいモノを現す言葉が浮んだ。
「……そうだ、ゴハン、買いに、いこう」
***
―― アーウェンの血、飲んでから……まだ一ヶ月しか、たってないのに……。
鉱石の鈍い発光が浮ぶ自室工房で、ラクシュは座りこんで、膝の間に頭を埋めていた。
「はぁ、はぁ……」
息が荒くなり、渇いた喉がひりつく。
水を飲んでも治まりはしない。この渇きは、身体が血を欲しているせいだ。
普通に生活しているだけなら、一年は持つはずなのに、ラクシュの身体はもう血を寄越せと要求しだした。
狼の血は同族の血より、腹持ちが悪いのか。それとも十年も飲んでいなかった分、すぐに足りなくなってしまったのか……。
―― だめだよ……だめ……
この前は、十年も我慢したのだ。まだ少しぐらい、大丈夫なはず。
乾きの欲求には波があり、気が狂いそうに辛くなった時は、こうして工房に篭り、静まるまでやり過ごしていた。
「はぁっ、はぁっ……」
口もとを覆い、伸びていく牙を押さえようとした。
不意に、コンコンと扉がノックされる。
「ラクシュさん、ごはん出来ましたよ」
アーウェンの陽気な声が聞えた。
―― アーウェン……。私が欲しいの、きみの血……。
また、ノックの音。
「ラクシュさーん…………ラクシュさん?」
少しだけ渇きの波が引き、ラクシュの口元から牙が引っ込む。
いそいで起き上がり、木の扉をあけた。
「ああ、良かった。いないのかと思いました」
生成りのエプロンをつけた人狼青年は、ほっとしたような笑みをみせた。いつものように散るキラキラした光が、今日はやけに眩しくて辛い。
「……っ!」
アーウェンを見た瞬間、急激に欲求が競りあがる。
もう、この青年の味を覚えている。とても美味しかった。
自分で噛み血を滲ませた指をラクシュの口に突き入れて与え、唇の傷からも与え、『喜んで』首筋に牙をつきたてさせた。
「ぁ……ぇ……」
声がいつも以上に喉奥に張り付いて、出てこない。
「どうしたんですか!?」
よろめきかけ、アーウェンに支えられた。
「はぁ……はぁっ……」
キルラクルシュに血を吸われるのは、とても痛いらしい。吸われた吸血鬼たちは皆、激痛に叫んでいた。
他の吸血鬼のように、獲物に苦痛を軽減する魅了をかけられないのだ。
「ぁ……ぁ……」
『欲しい』と、言えばいい。きっと飲ませてくれる。
アーウェンは、いつでも飲ませてくれると言った。ラクシュを大好きだと告げて。
本気でそう言っているのだ。
アーウェンを疑い、信用しない事のほうが、よほど酷い扱いだ。
「――――――っ」
それでも、大きく開いた口からは、一言も出なかった。