そうだ ごはん買いに行こう。-3
「……シュさーん、ラクシュさーん」
アーウェンの大きな手を目の前でヒラヒラと振られ、空っぽの椀底をスプーンで引っ掻いていただけなのに気づいた。
物思いに耽りすぎてしまったようだ。それに近頃では、いつも身体が重くだるいし、よく頭がぼんやりする。
もうずっと、飢えを満たしていないせいだ。
「もっと食べますか?」
尋ねるアーウェンに、首を振った。胃袋は十分にいっぱいだ。
「……」
少し視線をあげて、アーウェンを見た。彼はいつも、キラキラして見える。
特に、ニコニコしながらラクシュの世話を焼く時なんかは、そのキラキラが増える。眩しすぎて、見るのが辛くなるほどだ。
「え、と……」
ゴクリと喉がなる。
椅子からたちあがり、ふらつく上体を腕で支えて、テーブルの上に身を乗り出した。
テーブルは小さいから、アーウェンと鼻先がくっつきそうになる、
「……ん」
クラリと眩暈がした。薄く口を開けて舌を出し、アーウェンの唇を舐める寸前で、ようやく我に返った。急いで口を閉じ、椅子にドサリと座る、
「ら、ラクシュさん?」
アーウェンは相当に驚いたらしく、硬直していた。
「……」
俯いて、空になったスープの椀を見ながら、深い溜め息が零れた。
―― まだ大丈夫って、ついさっきまで思ってたけど、やっぱり、もう、無理だ。
(明日の、チョコケーキ……)
とても惜しかったが、これ以上、我慢できる自信がない。
―― 潮時だ。
椅子から立ち上がると、眩暈がしてよろけた。
「ラクシュさん!」
アーウェンがテーブルを飛び越えて、支えてくれる。
――ああ、本当に、大きくなったね。この腕なんか、軽く私をへし折れそうじゃない。出会った時は、きみのほうが骸骨みたいに痩せていて、今にも倒れそうだったのに。
「ラクシュさん……やっぱり、具合でも悪いんじゃないですか?」
心配そうに尋ねるアーウェンに、首を振る。
「……今夜、引っ越す」
「な……っ!? 引っ越すって、どこに!?」
「決めてない」
「ええっ!?」
アーウェンが目を丸くした。ラクシュは頷き、ふらつきを堪えて人狼青年の腕から離れる。
吸血鬼は日光を非常に嫌うし、ラクシュも同じだ。でも、同族より少しは耐性があるらしい。薄曇り程度なら問題ない。空模様から見て、しばらく天気が悪そうだ。旅に出るには調度良い。
「えっと……とにかく、それじゃ、すぐ支度しないと!」
慌てふためいて荷造りを開始しようとするアーウェンに、首を振った。
「違う。私だけ」
「…………え?」
茫然としたアーウェンが、ゆっくりと振り返った。
「この家は、きみにあげる」
次の瞬間、アーウェンがもの凄い力で、ラクシュの両肩を掴んだ。
「それ! どういう意味ですかっ!?」
骨に皮がへばりついているような薄い肩へ、力強い手が食い込む。
「い、痛い……」
呻き声をあげると、少しだけ力が抜けたが、離してはもらえなかった。
「す、すみません……俺、びっくりして……あ、もしかして、しばらく留守にするとか、そういう意味だったんですか? ラクシュさん、すごい口下手だから……」
アーウェンは必死で陽気に言おうとしているようだが、ラクシュの肩をしっかり掴む手は、こわばり震えていた。
「違う。もう戻らない。……さよなら」
アーウェンの手を引き剥がそうと、そっと手を添えたら、次の瞬間に両手を掴まれて、テーブルへ仰向けに押し付けられていた。
皿が何枚か床に落ちて割れたし、木の天板にぶつけた頭が痛い。
「アーウェンっ!」
さすがに叱ろうと思ったら、見上げたオリーブ色の瞳に涙が薄っすら溜まっているのが見えて、困惑した。
「なん……で……」
搾り出すような声の問いに、首を傾げる。
アーウェンこそ、どうしてそんなに嫌がるのだろうのかと思う。
元々は奴隷市場で買った者と、買われた者の関係。親類でも同族でもない。
ラクシュはもう何年も前に、購入証明書を焼き捨ててしまったから、アーウェンは自由だ。
……それでも、ずっと世話を焼いてくれるのは嬉しかったけど。
「アーウェン……心配ないよ」
十年前には無力だった彼も、もう今では立派に成長した。
魔道具が造れなくても、材料だけを欲しがる人だって街にいっぱいいる。薬草や鉱石を売るだけでも、十分に暮らせる。
つまりもう、アーウェンはラクシュが『いらない』のだ。
「きみは、鉱石を売る仕事で、暮らせる。だからもう、私の世話はしなくていい」
すごくすごく頑張って、長い言葉で一生懸命に説明をしたのに、アーウェンを安心させるどころか、激怒させてしまったらしい。
見る見るうちに彼の双眸がギラつき、口元の犬歯が伸びる。髪と同色の体毛が、ざわざわと首筋に伸びてきた。