試合前-1
桑野松蔵は木刀を手に琴音と向かい合っていた。
「拙者が持っている木刀を絡んで巻き込んで撥ね上げてみよ」
ただ中段に構えている木刀を琴音は巻き込もうとした。
しかし木刀は草ではない。木刀に巻きつけることなどできない。
クルクル木刀の表面を滑るように空回りするだけで一向に巻き取れない。
そのうち松蔵の方でクルリと廻すと、琴音の木刀が撥ね上げられた。
しっかりと持っていなかったら、木刀を手から離すところだった。
「考え方を変えてみるのだ。木刀を巻きつけようとせずに、木刀の周りを絡まるようにするのだ。瞬時に包み込むので、どの方向にも撥ねることができるのだ」
何度か試すうちにできるようになると、今度は実際に動かしている木刀に対して稽古をするようになった。
数日すると真剣での立会いで稽古を始めた。
琴音は松蔵に対してようやく納得した顔で語った。
「この長髪剣の意味がようやく分かりました。
剣捌きに粘りが出てきめ細かくなるのですね。きめが粗ければそこが隙になる。
無角師匠の『水流』と『破の剣』の狭間にできる隙間を埋めるのが長髪剣なのですね」
「と誰でもそう思うが、実はもう少し違うものなのだ。これはこれで独自の型を持つ。
それをこれから教えよう。ついて来れるか?」
そう言うと縦横無尽に剣を振るう剣捌きを見せた。目で見てそれを真似るのは至難の業だが、琴音は不正確ながらも必死に真似てついて行った。
「旋風(つむじかぜ)」
松蔵がそう言うと独楽のように2回転・3回転しながら剣を振るう型をした。
「疾風(はやて)」
今度は短距離を突進しながら閃光のように剣を振るう。
「雷(いかづち)」
高く飛び上がると飛び降りざま剣を振るう型と変化が激しい。
「以上が長髪剣の型だ。これを繰り返しながら稽古する」
それからが大変だった。庭では狭いので裏山に出たが、とにかく移動距離が長い型なので、いつも全速力で駆け続けているのと同じである。
若い琴音でも何度か繰り返すうちに息切れがして来る。
「少し休もうか」
「なんの。兄弟子が休みたければどうぞ」
「しかし驚いた。いきなり通常の速さで行ったのに、もう型を会得しておるな」
「兄弟子! そう言いながら休憩するのはやめましょう。さあ、いざ」
「あいわかった。では」
木刀を使って型を続けていると、野山に2人の駆ける足音と木刀を振るう風きり音が響き渡る。
そして激しくなって行く呼吸の音も。それらの音が妙に揃って一体化して行くのも印象的な光景であった。
稽古が終わり屋敷に戻るときに琴音は言った。
「兄弟子、これより戻るときに兄弟子を背負って駆けて行きたいと思う。
兄弟子は16貫ほどあろう。米袋の代わりに背負いたい」
「拙者を米袋の代わりにする積りか。明日より米袋を持って来てはどうだ」
「無角師匠が仰った。動かぬ物と生きている物では違うと」
「あいわかった。では頼む。ちょうど疲れていて自分の足で帰るのが大儀になっていたところだ。ありがたい」
「無駄口や憎まれ口はなしに願いたい。さあ私の背中に早く」
松蔵が負ぶさると手や足が長い為にどうも邪魔になる。
「師匠と違って、どうも兄弟子は嵩張って、あちこちはみ出る。うどの大木とは、実にこのことを……」
「なに? 琴音殿、今何か言ったか?」
「なんでもない。兄弟子、おぶるのはやめて肩車にする」
「そ……そうか。却って難しくないか」
「良いから、そこに足を広げて立っているように」
背後から頭を突っ込んだ琴音が気合を入れると松蔵の体は浮き上がった。
「兄弟子! ぐらぐらせずにしっかり掴まってくだされ」
「おおわかった。こうか」
「目を覆ってますぞ。違う。首を絞めないで頂きたい。そう額の辺りに手を」
「こうだな。よし、あいわかった」
「足を前に垂らさないで頂きたい。胸や腹に当たりますれば。」
「ではどうすれば良いのだ」
「背中の方に廻してくだされ」
そう言ってから走り出すのだが、なにしろ上が重くて下が軽い構造なのでぐらぐら揺れること甚だしい。
そうすれば琴音の後ろに束ねた髪の毛が下腹を擽り、うなじに股間が当たって松蔵の下半身にも変化が出て来た。
松蔵は流石に焦ったが琴音は早速言った。
「兄弟子も師匠と同じくお守りを入れているのか」
そう言った後で、琴音は夢の中のコケシを思い出して顔が赤くなった。
「お守り……な……なんのことじゃ」
「何でもない。ちょっと揺れるが急ぎますゆえ」
そう言って琴音は全速力で駆け始めた。そして途中で止まらずに屋敷前に来た時力尽きて倒れた為、松蔵は前方の地面に放り出された。
「うわっ!」
1回転して起き上がった松蔵はうつ伏せに倒れている琴音を抱き起こし横抱きにして屋敷内に入る。
それでも顔を上げると琴音は言った。
「余計なことをせずとも良い。私は自分で歩けるゆえ」
「そうは見えぬが。まあ、遠慮いたすな。そなたが拙者を運んだよりもずっと短い距離ゆえ。
だが何故に激しい稽古の後にこのような無理をするのだ」
「玄武に勝つ為にできる限りのことをしたいのだ」
「それは分かる。だがこのように無茶を致すと、整体術も長くかかるが」
「すまん。兄弟子。貴殿に頼むしかない」
松蔵はそれに対しては不平を言わなかった。むしろ琴音の体に思う存分触ることができるので密かな楽しみになっているのだ。
だが楽しみにしている自分を認めることができず、いつも仏頂面で施術を行っているのだ。
特に体を密着させて行う筋の引き伸ばしなどでは、つい股間が高まってしまうことがある。
悟られないように始める前に褌をきつく締めるのだが、その分締め付けが痛く苦しくなる。