膂力稽古-1
息を弾ませて庭に現れたのは袴に細かな草の実や種をつけた琴音だった。
「師匠、ただ今戻りました。仰られた通り一刻の間裏の野山を全速力で駆けて参りました。
まるで体が羽毛のように軽く、体に力が漲っております」
琴音が外から戻って報告すると無角は頷いた。
「そうかそうか。それで今走った道筋と同じように走ることができるか」
「はい勿論です。もう一度駆けて参りますか」
「そう願う。但し今度はこのわしを背負って行って欲しい」
「えっ、師匠を……そ……それは……私は女人の身ですし殿方を背負うのは」
「以前わしはそなたを背負って走ったではないか。するとそなたはそのようになりたいとも言った」
「そ……そうでした。忘れてました。では師匠を背負って」
「だが最初から走ろうとしては駄目じゃ。はじめはしっかり一歩一歩歩くことから始めるのじゃ。言っておくがわしは赤子よりは重いぞ」
確かに今度の場合はやはり初めから走るのは無理であった。無角は琴音に負ぶさりながら、筋肉や筋、骨の様子をそれとなく観察できた。
「以前は肩の肉が薄かったのが厚みを増して来た。背筋の肉も締まってきておる。
なにより強くなったのは腰まわりと足であろう。
だが固くなっては肉も縮んでしまう。湯浴みしてよく体をほぐすが良い」
そしてたまにではあるが手足が痛むと無角は手でほぐしてあげた。
「師匠、いくらなんでも私のような女人の体を触るのは……」
「今ほぐしておけば、明日の稽古が楽になる。でなければただ辛いだけで前にも進めず後戻りになってしまう。触られるのが辛くても我慢するように」
「それでは手足だけにして下さい。決してそのほかの場所を触らないでくださるように」
「心得た。ただ背中や肩が凝り固まったときにはそなたの許しを得てから解すこともある」
手足をもみ始めると気持ちよくなり、琴音は不覚にも睡魔に襲われてしまうことがあった。
だが目覚めると体は軽くなり痛みも取れていたので、だんだん師匠に手足を揉まれるのを待つようになった。
そして肩や背中のみならず腰までも揉まれることを拒まなくなって来たのだ。
無角には稽古中呼吸や心の臓の様子が手に取るように分かった。そして長い間背負わせて琴音の腹が空腹の為に鳴り出すとその日の稽古の終了を告げた。
その為琴音の夕餉の食欲は旺盛になり、血色も良くなって来た。
筋肉の観察の他に無角は琴音のうなじから上がる芳しい香りを楽しんでいた。
琴音はこの稽古が始まると良く湯浴みをするようになり、匂い袋なども懐に忍ばせるようになった。
それは女人として体臭を気にしたからである。無角を楽しませようという気持ちはなかったが、結果楽しませることになったのだ。