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人狼少女は本能のまま恋をする 
【ファンタジー 官能小説】

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夜の困惑-4


「……俺の嫁さんに、何か用でも?」

 不意に陽気な声とともに、チェスターがアンの両肩へ後ろから手を置いた。
 呪縛が解けたように硬直していた身体が動き、男の手を振り払う。
 男が胡散臭そうにチェスターを睨む。

「この女が妻だって言うのか?」

「そう、大事な可愛い嫁さんなんだ。悪いけど、他の男には触らせたくない」

 チェスターがにこやかな笑みを浮べつつ、アンを引き寄せた。愛嬌のある口調と声なのに、どこか鋭さを含んでいる。
 男は不機嫌そうに顔をしかめ、売り台へ顎をしゃくった。

「フン……まあいい。携帯用の魔法灯火を一つくれ。あの端にある手提げがついたやつだ」

「はい、毎度あり」

 チェスターが魔法灯火を一つ取って差し出すと、男は代金を払い、もうアンに視線も向けず雑踏の中へと消えていった。

「……大丈夫か?」

 顔を強張らせて唇を噛んでいたアンは、その声にやっと我に返った。慌てて笑みを作り、声の震えを押し殺す。

「う、うん。残念! お客さんでなかったら、引っぱたいてやれたのに!」

 チェスターが荷台の魔法灯火をとるために二人から目を離したのは、ほんの数秒だった。しかしその僅かな時間に、男は犬歯の目立つ口元から言ったのだ。

『日が落ちきるまでに、廃教会へ一人で来い。断るならこの隊商の誰かを殺す』

 人の言葉でないそれは、犬や狼の唸り声によく似ていた。威嚇の吠え声と違い、人間の耳では聞き取れない音階だ。
 初めて変身する前から、アンもロルフも街犬たちと会話ができた。
 それは自分たちが狼の血を引くがゆえの能力なんて知らなかったから、意地悪な子たちに嘘つき双子と決め付けられた時は、殴り合いの大喧嘩になったものだ。(実際には暴れたのはアンで、ロルフは必死に止めていた)

 ―― あの男は、間違いなく人狼だ。
 しかも自分のように、人間の街でぬるい育ちをしたハーフではなく、父と同じ野生の純粋種だ。
 手首を掴まれた一瞬で、男と自分の優劣の差を、痛いほど感じた。

 人狼はもう絶滅に等しく、父が生まれ育った一族の僅かな生き残りも、今では行方もしれないそうだ。
 しかし父は、生命力の逞しい人狼は、広い大陸のどこかにまだひっそりと残っているかもしれないとも言っていた。
 あの男は、アンから貴重な仲間の情報が欲しいだけなのかもしれない。
 それなら半分でも、数少ない同じ血を引く者として、力になるべきなのだろうか?
 ほんの少し迷った。
 だが、あの男が同族の血を引いていようと、どうも好きになれそうにはなかった。
 なにより、こんな風に脅しをかけてくる相手に従う義理はない。
 チェスターに言って、すぐに警戒態勢をとろうと、アンは決めた。

「あの、チェスター……」

 しかし、口を開きかけた途端に、鋭い視線を感じて、ゾワリとうなじの毛が逆立った。

(見張られている……?)

 素早く辺りを見渡しても、男の姿はどこにも見当たらないのに、少しするとまた視線を感じる。
 まるでうろたえるアンを、あざ笑っているかのようだった。

「アン?」

 怪訝な顔をしたチェスターに、急いで首を振って視線を逸らす。

「あ……やっぱり、なんでもない」

 そして、さっきから口紅を眺めている女性客に声をかけた。

「い、いらっしゃいませ! それ、新製品なんですよ!!」

 今にも脚から力が抜けて、しゃがみ込んでしまいそうだった。
 もし、チェスターを傷つけると言われたら、刺し違えてでも止めて見せる。だが、あの男はあえて獲物を特定しなかった。

『この隊商の誰か』

 それはアイリーンかもしれないし、占い師のマゼンダかもしれない。木彫り細工の得意なケントか、彼の妻が背負っている赤ん坊のダンかもしれない。
 この雑多な市場で忙しく働いている仲間たちの誰へ、狼の牙が向けられるのか解らなければ、守りようがない。
 バーグレイ商会の人間は、大なり小なり修羅場をくぐっている者が多いけれど、人狼に不意打ちをされれば、ひとたまりもないだろう。
 どんなに大切に育まれた命だって、ほんの一瞬で消えてしまう時もあるのだ。
 チラリ、と沈みかけている夕陽へ目を向ける。
 市場の出店はもう殆どが片付けに取り掛かっていた。バーグレイ商会の仲間たちも、空箱を荷馬車に忙しく積み込んでいる。
 アンは口紅の色を延々と悩んでいる女性客に、そっと小声で尋ねてみた。

「すみません……この辺りに、廃教会なんてあるんですか?」

「え? 火事で焼けた教会跡なら、ここの北側にあるけど……。ねぇ、それよりこの口紅、どっちが私に合うかしら? いつも悩んじゃうのよね。好きな色と似合う色は違うって、よく言うじゃない? この間も……」

「え、ええと……」

 思いがけずに始められてしまった長話にアンがたじろいでいると、傍にいたケントの妻が、赤ん坊をあやしながら助け船を出してくれた。

「もうじき店を閉めますし、二つ買ってもらえるなら、三割値引きしますよ」

「あら、いいの? じゃあ思い切って、両方頂いちゃおうかしら。錬金術ギルドの口紅って、色持ちがいいから好きなのよ」

「ありがとうございます。あ、こっちは香水サンプルなんですけど、良かったら……」

 商売上手なケントの妻が客とやりとりをしている間に、アンはこっそりとその場を離れた。
 あの鋭い視線が、じっと背中に突き刺さっているのを感じる。

 アンは皆に見つからないよう荷馬車の間をすり抜け、一目散に廃教会を目指して駆けていった。



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