初夜の花嫁-3
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まだ西の国に住んでいた幼少の頃、夏には一家でこのバーグレイ商会に加わり、父の故郷である北国まで旅をするのが恒例だった。
当時の首領はチェスターの母で、父や母と昔からの知り合いらしい。
十二歳年上のチェスターは、アンやロルフに隊商の暮らしぶりや大陸各地の色々な話を教えてくれた。
『チェスター坊ちゃんを嫌いになるのは、なかなか難しいと思うぞ』
と、父が言うように、アンもロルフも初めて会った日から、チェスターが大好きになった。
特にアンは、フロッケンベルクで過ごす日々も勿論好きだったけれど、毎年チェスターと過ごせる旅路が楽しくて仕方なかった。
だから、両親が北国へ移住すると決めた最後の旅路は悲しくて、チェスターと二人になった時に、つい泣いてしまった。
チェスターは、バーグレイ商会は毎年夏になればアンの住む地を訪ねるのだから会えなくなるわけじゃないと、いかにもお兄さんらしく慰めてくれた。
それでも素直に頷けなかったのは、人狼が早熟な種で、もうすでにチェスターへ抱く想いが、単なる親愛以上と気づいていたからだ。
彼はまだ恋人はいないらしいけれど、西のイスパニラから北のフロッケンベルクの道中、どこの街や村に寄っても大勢の知己がいたし、その中には女性も多かった。
野花のように可愛い女の人や、息を飲むほど妖艶で美しい女性もいた。
彼女たちに比べれば、自分はまだ子どもで、妹のようにしか見てもらえないのが悔しくてたまらない。
『……私は人と狼の姿を二つ持っているんだから、いっそ分けられれば良いのに。そうしたら人間のアンは家族と街に住んで、狼のアンはチェスターと隊商にいられるもん』
家族との暮らしは大好きだけれど、隊商の旅暮らしは不思議なほどアンにしっくり馴染み、夏の一時だけじゃなくてずっと隊商で暮らしたいと思っていた。
隊商の暮らしは危険も多いから、どこの隊商も武装をして番犬を飼う。人狼ハーフのアンは、バーグレイ商会の番犬とだって大の仲良しだ。
チェスターは犬が大好きで、狼姿のアンを可愛いと言ってくれる。
他の町のどんなに魅力的な女の人だって、狼に変身できる人はいない。
一生懸命考えたけれど、アンが特別になれる部分と言ったら、それくらいしか思いつかなかった。
そう言うと、彼はとても困ったように笑った。
『俺は、人間にも狼にもなれる、そのままのアンが大好きだよ』
『じゃぁ……私が大人になったら、チェスターのお嫁さんにしてくれる? ……あいしてるの』
見上げたチェスターの顔は、驚いた表情を浮べていた。
それはそうだろう。いくら必死だったといえ、今思い返せば、なんと図々しく無茶なお願いだと思う。
そんな子どもじみた願いなど、一笑して退けても良かったはずなのに、彼は一人前の大人相手にするように、胸に手を当てて誓ってくれたのだ。
『はい。アンジェリーナが十六歳になっても、まだ俺を好きだったら、お嫁さんになってくださいと頼みにいくと誓います』
それから数日後、アンは家族と共に北国での暮らしを始め、チェスターとは毎年会うものの、隊商に加わって旅をする事はなくなった。
そして十六歳になっても、チェスターを以前と同じどころか更に大好きで、彼は約束通りに求婚してくれたのだ。