無謀1-1
どうしても一緒に行くというので、その日は二人で満員電車を乗り継ぎ空港へ向かった。宿泊するホテルに備品はそろっているので下着だけでいいと言ったのだが、奈津子があれやこれやと詰め込んだおかげでバッグはパンパンに膨らんでいる。
胸にコサージュでも挿せば、このまま入学式に出席できるようなフォーマルなスーツ姿だ。服装のことを聞くと「お勤めしていたときに着ていたのを引っ張り出してみたらどうにか着られたの。形がちょっと古いけど」とはにかむ。
「全然古くは見えないさ。センスのあるいい色じゃないか。格好いいし、よく似合うよ。それに若い頃の服を着られるなんて、大したもんだね」
かくいう義雄も体型は若い頃からほとんど変化していない。太ることができない体質なのだ。
「本当のこといっちゃうと、ちょっぴり無理して着ているの」
ウエストをよじる奈津子を見て、昨夜のことを思い出した。
「本当によく似合っているよ。全然古くなんて見えないさ」
咳払いをして、同じ言葉を繰り返している。
張りのあるヒップラインを盗み見て、ため息を吐いたほどだ。長年連れ添う妻がこんなにも色香を放ってることに喜びを感じていた。そういった目で改めて周りを見てみると、奈津子に視線を送っている男が何と多いことか。義雄は鼻が高かった。
「えーと、あ、この飛行機ね」
頬に当てていた人差し指で、フライトボードを示す奈津子を見ていた。
「なーに、そんなに見つめて」
視線に気づいたようだ。
「いや、何だか今日は綺麗だなと思ってさ」
普段口にしたことのないことをいってしまい頭をかいた。奈津子は「いやねぇ。何をいっているのかしら」と片方の眉を上げ、「少し時間があるのであそこのレストランに入りましょう」と照れ隠しのようにいった。
「ここのコーヒー美味しかったの覚えているわ。ずいぶん前だったけれど一緒に入ったでしょう」
「そう言われれば、入ったような気がするな」
真剣な顔でにメニューを見ている奈津子に自然と笑みがこぼれた。お勧めのコーヒーを一口飲んで「あ、美味しい」と、思わず声に出す。
「あっちまで二時間もかからないで行けちゃうんだから、考えてみたらすごいことだよ」
「でもやっぱり遠いわ」
「確かに、遠いのか近いのか分からないな。通勤で二時間以上かけてくる人も会社にいるからね」
出発ロビーまで奈津子が荷物を持つといい張った。
「気をつけてね」
「うん。ま、飛行機は落ちないとは思うけどね」
「ばかなこといわないでください」
どうやら本気で怒っている。
「ごめん、ごめん」と謝ってから「若い頃は出張が多かったけれど、君が一人っきりになるのはなかったかな。恵がいたからね」とごまかした。
「ええ、そうね」
奈津子は俯いている。まだ怒っているようだ。
「長いのは恵が小学校のときに一年ほどだっけ。今回は短いけど、羽を伸ばしたらいい」などと機嫌をとった。
「もう行った方がいいかも」
奈津子は電光掲示板の時計を見上げた。その頬に涙が滴っていたので驚いた。
「ごめんなさい」
ハンドバッグから慌ててハンケチを取り出して頬をぬぐう。
「なんだか、変ね。どうしたのかしら」と無理やり笑顔を作るが涙が止まらない。
「何か変なこと言ってしまったようで、ごめん」
義雄はどうしてよいのか分からず、うろたえた。
「ううん、違うの、違うんです」
もはや嗚咽に近い状態になっていた。泣くことを自分でも止められないようだ。顔にハンカチを当て、何度も大きく息を吸い込んでいる。
「大丈夫?」
義雄はオロオロしながら手を伸ばしたり引っ込めたりしている。ようやく泣き止んだ奈津子は「ごめんなさい。もう時間ですから行ってください」と赤い目を義雄に向けた。
「うん、そうだね」
奈津子を直視できずに電光掲示板と腕時計を交互に見た。こんなとき、何もできない自分が本当に情けないと思った。
「わたしはもう大丈夫ですから」
「電話するから、必ず」
「無理しなくていいから、お仕事がんばってください」
ゲートで振り返ると、奈津子が目にハンケチを当てていた。