ポニーテールを解いてくれ-2
目の前である。思わず後ろを見てみたが誰もいない。私の前に立っているのだった。
(何という瞳なのだろう……)
きれいだ。……だが、その輝きには不可解な色があった。
(私を見ている?……)なぜ?……
見つめられる理由がわからず、私は視線を外した。微かに狼狽していた。
「あたしを見てました?」
少女の言葉に棘はなかった。
「え?……」
「あたしを見てたんでしょう?」
落ち着いた大人びた言葉遣いである。声のトーンも低く、きらきらした少女のイメージとはほど遠い。
見ていたのは事実だ。相手は女子高生。もめ事にでもなったら不利だろう。
「いや、別に……」
歩き出した背中に少女の言葉が追いついてきた。
「駅で毎朝会いますよね」
振り向くと少女は微笑んでいた。
足を止めずに繁華街に向かってもよかったのだが、やはり心に抱いた美少女である。
「そういえば……。どこかで見かけたなって思って……。怖がらせちゃったらごめん」
「そういえば……ですか?」
「どういうことだろう?……」
「あたしのこと、見ててくれたんじゃないんですか?」
「君を?……」
咄嗟に否定できなかった。
(知られていた……)
少女は穏やかな表情ではある。だが、そうであればストーカーと疑われるかもしれない。
「今日は、ほんとに偶然だったんだ。私服だったから印象が違ってたんで、つい……。別に後をつけていたんじゃないんだ」
「ええ、わかってます。今日は試験休みだから」
「それで……」
どうりで今朝は制服の生徒たちを見かけなかった。他の学校もそうなのかもしれない。自分の娘はどうなのか、生活のことはほとんどわからない。
少女は立ち去ろうとしない。
(なぜ……)
私に話しかけたのはなぜだろう。
おそらく私は彼女の父親と同年代であろう。その中年男が毎朝自分を見つめている。偶然とはいえ暗くなった街中でその男が視線を注いでいた。無視をして逃げ帰ってもいい状況であろう。
「少しお話しませんか?」
少女が言ったのである。その言葉は遠いところから響いてくるように聴こえた。
「話って……僕と?」
「はい。お時間があれば」
私は彼女の魂胆を疑った。それは当然であろう。女子高生が素性の知れないオヤジを誘う。もう夜の八時を過ぎている。誰もが疑念を抱くだろう。
小遣い欲しさに簡単に身を売る少女がいると聞く。まさかこんな純真な笑みを浮かべる少女が……。
「僕と話してもきっとつまらないと思うよ」
「つまらないかどうかはあたしが決めますよ」
小心な男とみてからかっているのだろうか。
「そろそろ家に帰る時間じゃないの?」
自分の娘なら気になってくる時間である。だが心配して言ったのではない。少女は可笑しそうに笑って、
「みんな初めにそう言うのね」
「みんな?」
「大人はそう言うわ。夜どこかに行こうとすると」
見抜かれたと思い、苦笑した。
自分に経験はないが、もし若い娘と知り合ったとしたら、おそらく誰もが先ず大人の良識と理性をみせることだろう。
往来にはそこそこ人通りがある。向き合って話す私たちは傍からどう見えるだろう。年齢差は親子であるが雰囲気はそうとは見えないだろう。援助交際か、中年男のナンパ。現に妙な視線を送って行き過ぎる者もいる。
(知り合いにでも見られたらまずいな……どうするか……)
この子と別れれば何も迷うこともないのだが、それは出来なかった。毎朝密かに心を温めている憧れの少女と話をしているのである。しかも彼女から『誘われた』のだ。
「どこか、いい店があるかな……」
人通りの多い道端から離れたかった。
(飲み屋というわけにもいくまい……)
「食事をしようか」
何度か行ったことのあるステーキ店を思い出した。ちょっと高級な店で個室がいくつかある。あそこなら周りを気にせずに話ができる。出費は痛いが仕方がない。
「美味しいステーキの店があるんだ」
「食事ですか……」
意外にも乗ってこない。
「肉はきらい?」
「好きですけど、もう食べちゃったんです」
「そうか……それじゃ、どこにしよう……」
少女は少し首をかしげてから、
「静かなところがいいわ」
「静かなところ……」
「ホテルなんか静かですよね」
「ホテルか……」
近くにビジネスホテルがあるがロビーは通りから丸見えである。それに狭い。それを言い、
「静かとはいえないな……」
「お部屋にするんですよ。ラブホの」
「ラブホって……」
「一番静かでゆっくりお話できるところですよ」
「だってそこは……」
「お話するために使ってもいいでしょう?」
「それはそうだが……」
「誰にも邪魔されないわ。飲み物もいっぱいあるし」
私が答える前に少女は踵を返して歩き出した。後を追いながら周囲を見やるとみんなが自分を見ているような気がした。