ジークの一番災難な日-7
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三十分ほど歩くと、都内のど真ん中に広大な敷地を構えた魔法学校に辿り着く。
高い鉄柵に囲まれた敷地内には、城みたいな立派な校舎が建ち、噴水に薬草温室までも備わっている。
詳しいことは知らないが、ここでは実験用に魔獣が多く飼われ、ドラゴンの飼育小屋までもあるらしい。
何しろ魔法学校は基本的に、部外者の立ち入りは厳禁だ。中で魔獣が暴れても教員だけで対処し、退魔士も呼ばないという徹底振り。俺も入るのは今日が初めてだった。
学校に近づくにつれ、賑やかな喧騒が大きくなっていたが、もう入り口から大混雑だった。
学園祭は、この閉鎖的な学校の中を見られる数少ない貴重な機会だから、無理もないだろう。
それも無差別に開放でなはく、学校の在籍者や卒業生から、チケットを貰わなければ入れない。
重々しい鉄門の受付を通り、広々とした芝生庭を歩いて噴水へと向う。
マルセラは噴水の前で、エレオノーラという友人と待ち合わせをし、一緒に講堂へ行く約束をしているそうだ。
魔術ギルドやロクサリス国の旗があちこちに飾られ、手入れされた木々の上では、幻影魔法の妖精たちが微笑んで手を振っている。
年齢の高い学生たちは屋台を出し、魔法グッズや魔法食材の料理を売っていた。
「久しぶりですが、変わりませんね」
辺りを見渡し、ウリセスが目を細めた。
あまりキョロキョロして不自然にならないよう気をつけながら、俺も辺りの様子を眺める。
家から三十分なのに、魔法一色の世界は、染みのない異国に来ちまったような気分だった。
美形率が異様に高いのは、エルフやハーフエルフがやたらと多いからだ。そして人間も、大半が庶民と違う雰囲気だ。
「ごきげんよう」とか「まぁ、お姉さま」……なんて会話の端々が、あちこちから聞えてくる。
―― あれ、マジで言ってんのか……?
ただようセレブ臭に唖然としていると、噴水の傍らで談笑していた親子連れが、こっちを振り返った。
ひげをきちんと整えた中年の男と、日傘をさした妻らしい女。淡い金髪を風にそよがせている魔法学校の制服を着た娘は、マルセラと同じ歳くらいだろうか。
一目でわかるくらい、とびきり血統書のよさそうな一家だ。
「マルセラ、お待ちしておりましたわよ!」
お上品な見た目からは意外なほど元気な声で、お嬢様が手をふる。
どうやら、あれがエレオノーラらしいな。
「おい、呼んでる……」と、つい隣を向いて言いかけて思い出した。
そうか、今は俺がマルセラだ。
しかし、絵に描いたようなこのお嬢様に、なんて返事すりゃいいんだ? 『ああ』や『待たせたな』は、マズイだろうし……。
目の前まで駆けて来たエレオノーラが、冷や汗ダラダラで硬直している俺に、小首をかしげている。
「マルセラ?」
く……マルセラになりきれ!! 俺はマルセラ!! すっげぇ可愛いガキ……じゃねぇ、女の子だ! 可憐な美少女だ! このお上品な学校の生徒だ!!
「あ……えーと……エ、エレオノーラ……さま? ご、ごきげんよう?」
その瞬間、今度はエレオノーラが硬直した。
ヤバイ! なんか間違ってたのか!?
「うふふふっ! マルセラ、急にどうしたんですの?」
エレオノーラが噴出し、身をよじって大笑いする。
ツンツンと俺の肩をマルセラがつつき、そっと耳打ちした。
(普通にエレオノーラで良いんだよ。私はお嬢さまじゃないんだし)
(あ、そうか……)
俺は慌てて、アパートで緊急特訓した笑顔をつくる。これがまた、難しいんだ……に、にこ……っ?
「アハ……ハ、冗談だよ。ビックリさせようと思って……」
その時、ガランゴロンと鐘の音が盛大に鳴り響いた。
「あら、もう集合時間になってしまいましたわ」
エレオノーラがウリセスたちへ、優雅に一礼する。
「エレオノーラ・クロエ・グランシャールと申します。せっかくお会いできましたのに、申し訳ございません。また後ほど、ごゆっくり挨拶をさせてくださいませ」
「これはご丁寧に、私はウリセス・イスキェルド。こっちはジーク・エスカランテです。劇を楽しみにさせて頂きます」
ウリセスが負け劣らず優雅で丁重な挨拶を返した。……ったく、調子のいいヤツだ。
俺の姿をしたマルセラも、ペコリとお辞儀をしている。
「では、お父さま、お母さま、失礼いたします」
エレオノーラが両親に会釈し、俺の手を取って駆け出した。
「さぁ、急ぎましょう!」
有無を言わされずに引っ張られ、心配になって振り返ると、マルセラたちはエレオノーラの両親と何か談笑していた。
不安は残るがマルセラは賢いし、鉄壁の猫かぶりウリセスがついてる。
俺は自分の心配をしたほうが、良さそうだ。