その(1)-2
たいていの事がどうにでもなった。スキャンダルを避けられるように特別な裏口から出入りできる産婦人科医も在る。そこの医師には芸能関係の各方面から多額の金が定期的に届けられている。
まさかと疑いたくなる清純が売り物の少女歌手から、長期滞在の外国人歌手まで、かなりの芸能人がそこを訪れている。
おかしなことに、ゴシップを追うことを生業としている芸能記者たちがそれを黙認しているのである。しかしそれとても単純な理由によるだけだ。記者が手にした情報は一種の商品として売買されるのである。
人気のある歌手たちはスキャンダルを恐れる。本人よりその歌手を擁する会社が恐れるのだ。特に売り出し中の芸能人にとってふしだらな記事は致命的である。そのため、安定した人気を確保するまで、彼らはプロダクションの規制の中に押し込まれて自由を束縛される。だが遊びたい盛りの若者である。時には目を盗んで欲望を満たしたくもなる。そのわずかな隙につけ入るのが記者の仕事なのだ。記者とプロダクションとの間には一面、連帯関係もあるが、反面、腹の探り合いと脅迫まがいのやり取りが厳然としてあった。
そういう世界に耐え切れずに決然と立ちあがったとしたら、ただ抹殺されるしかないだろう。誰も相手にしてはくれない。既得権と保身が第一の世界なのである。
しかし、そんなことはどうでもいいというように、名もない少年少女たちは希望を燃やし続けている。
ミユキもその一人だった。事前に何の連絡もなく突然やってきて、
「ヒットする歌、作ってください」と言うのだった。
歌を作る人は他にたくさんいる。そう言って追い返そうとすると、
「先生のじゃないと、だめなの」
彼女は俯いたまま立ち去ろうとはしなかった。
仕方なく中へ入るように促すと、とたんにあどけない笑みを見せてペコリと頭を下げた。
なぜ部屋に入れたのか。それは彼女から物欲しそうな作為が感じられなかったからである。
「本当に先生のじゃないとダメなんだ。ヒットしてるでしょ。だから他の先生のじゃレコーディングしてくんないの」
「いまに売れなくなるさ」
「そんなことない。いい歌ばっかりだもん」
十曲ほどの歌がヒットして、二年足らずの間に一躍流行作家になっていた。
コンクールに応募した歌が最優秀となり、脚光を浴びた。その時私はレコード会社の営業マン。音大は出ていたが作詞、作曲の経験はなかった。まさにそれこそ幸運だった。
「愛ミユキっていいます」
どこかで慣らされたように首を傾げるのが癖のようだった。
愛ミユキーーそれは思わず苦笑を禁じ得ないおざなりの芸名であった。
「その名前、誰がつけてくれたの?」
「向井先生」
向井の名を知らない者はいない。歌謡界ではもっともベテランの作曲家だった。ここ最近はヒット曲こそないが、面と向かって物を言うのも憚れるほど業界では重鎮である。
「あたしのオッパイがね。愛ミユキっていうイメージなんだって」
「向井先生が?」
「そう。オッパイ見ると売れるか売れないかわかるって」
「売れるって言ったの?」
こっくりと頷いた。
「それで、売れた?」
「売れない」
「歌は作ってくれたんだ」
「作詞もしてくれたの」
ミユキは話をしている間も忙しなく部屋の中を見まわしたり、ソファの弾力を試したりして落ち着きがなかった。
向井が歌を作ってくれたとミユキは言ったが、おそらく内弟子の誰かが作ったものだろう。無名の歌手に与えるなら曲の出来、不出来は関係ない。なぜなら世に出ることはないからだ。向井自身はその威厳さえ含まれた名を見せつけるだけでいい。その歌は『遊び道具』としてプロダクションも承知で、それなりに処理するのである。
「先生、あたしのオッパイ、見る?」
ミユキは少し口を尖らせて言った。
ミユキの言葉から、忘れかけていた会社の同僚の顔がいくつか思い出された。
レコード会社の営業ーーそういうと聞こえはいいものの、営業にも色々とあって、やっていたことといえば、店舗回り、注文取り、返品処理。そんなことが仕事の大半である。毎日車に乗り詰めで、都内だけでなく関東一円を走り回っていた。
そんな業務に携わっている社員に何の権限もない。社名から想像する華々しさとは無縁の生活なのだ。変ったこともない。不満がたまる。そこで重役や作家の名をちらつかせて悪さをする者が出てくる。
『コネをつけてやろうか』
さも親密な関係をにおわせて歌手志望の女たちに近寄っていく。卑劣なやり方だった。
「卑劣だって?ずいぶんご立派じゃないですか」
「自分だってやりたいんでしょう?無理するなって」
「お偉いことだな。神父さま」
神父というのが綽名になった。
女への興味、欲望はある。だが騙すことは許せなかった。それがまかり通る感覚にはついていけなかった。