白い波青い海-5
(3)
午後になったが何もすることがない。一週間この調子だ。懐具合もだんだん苦しくなってきた。大学の授業も気にはなっている。
(帰ろうか……)
思ってはみるのだが、どうにも腰が上がらない。煙草の味までも私を惑わすように鈍い感覚を胸に与えてくる。
(泳いでみようか……)
ふと思い、階下に下りていった。切っ掛けは何でもいい。
「お散歩ですか?」
履物を探していると主人が玄関までやってきた。
「いえ、ちょっと海まで。泳いでみようと思って」
「海ですか。まだちょっと冷たいんじゃないですかね」
「冷たかったら裸になって陽に当たるだけでもいいと思って」
「そうですか。で、パンツは?」
「いや……」
「お貸ししましょう。貸し出し用のがありますから」
主人は奥に行きかけたが、私は断った。初めからそれほど強い気持ちで泳ごうと考えたわけではない。
外へ出て煙草を買い、一服つけると、どこへ行こうかと思案した。当てはない。漁港も高台も何度も行っている。
(どうするか……)
自由な旅先で自由を感じない。
(戻って昼寝でもするか……)
それも動きにつながらない。
昼間の部屋代はシーズンオフということもあってわずかな割増で借りている。『詩を作る』のであれば部屋にこもってもいいようなものだが、それでも一日中ごろごろしているのは気がひける。
私の足は浜へ向っていた。海は拒絶がない。
快晴だが朝よりも強い風が拭いていた。地を這ってときおり砂粒が舞った。
裸足になって波に足を浸す。まだ水は冷たい。岩場には何人かの釣り人の姿が見える。
(釣りか……)
そういう手もある。暇つぶしにはもってこいかもしれない。何も考えずにすむ。
ふと、砂浜に誰かが横たわっているのに気がついた。今朝と服装は違っていたがすぐに『あの女』だとわかった。黄色のホットパンツ、ベージュのシャツ。その色合いが保護色のようになって目につかなかったようだ。サングラスをかけ、遠目にもすらりと伸びた脚が艶めかしい。
私はぶらぶらと女の方へ歩いていった。言葉をかけておこうと思ったのである。この女には老人との経緯から私に対する誤解があると思われた。誤解を解くーーそこまでする関わりでもないが、
(ひと言話しておくべきだ……)
心で呟きながら、明らかに口実めいている自覚があった。想いの片隅に女への興味が蠢いていたのである。
私の気配を感じた女は心持ち頭を上げた。サングラスなので目の動きはわからないが、変化のない表情からすると私が誰であるか認識したようであった。
私は軽く笑いかけた。
「風が強くなりましたね」
女はサングラスを外して半身を起し、眩しさに目を細めた。
「そうね……」
言葉に棘はない。
「この日差しじゃ焼けるでしょう」
「夏より今頃の方が紫外線が強いんですってね」
女は言いいながら太ももをタオルで被った。色香をたっぷり含んだ肉感が艶めかしい。
「きれいな所ですね」
「そうかしら……。旅行?あなた」
「ええ、まあ。そんなような……」
私は老人のことを訊ねた。
「おじいさん、お体がよくないようですね」
「……ええ。わかるでしょ?脳出血やってね。それからなんだかもうろくしちゃって……」
女の対応は心安かった。
「大変ですね」
女は顔を伏せ、風に飛ばされそうになったタオルを押さえた。
「東京でしょ?あなた」
「ええ。そうです。わかりますか?」
「そうね。どことなく」
「あなたも此処の人じゃないでしょう?」
「どうして?」
「何だか都会的な感じだし……」
綻ばせた口元が微かに動きかけて、止まった。
女は居ずまいをただすように腰を落ち着けた。その動作は私を受け入れてくれたように思えた。
横に腰を下ろし、煙草を咥えた。風が強くてなかなか火がつかない。掌の中でライターを擦っていると女が手を添えて風よけをつくってくれた。
「一本いただける?忘れてきちゃった」
煙草を手にすると、
「貸して」
私の煙草から火をつけた。
陽は強いものの、風によって体感温度は低い。
「寒くないですか?」
「寒くはないけど、長くいると冷えるかもね。焼けるのに冷えるって面白いわね」
色白の肢体と黒い長髪のコントラストが私のときめきを誘った。美しい、と思った。