白い波青い海-4
ある休日のことである。公園の芝生を並んで歩いていると、由紀子が小さな声で言った。
「いい天気なのにねえ……」
私は聞き流して眩しい空を見上げてみた。そしてふと彼女の言葉が逆戻りしてきたのに気づくと、それはかなり皮肉にもとれる言葉であった。
「どういう意味?」
「なにが?」
由紀子は芝生に座りながら、
「なにが?」とふたたび言った。
崩れた受け答えに間を置くように、私は煙草に火をつけ、向かい合って腰を下ろした。由紀子は陽ざしに目を細めながら私を見つめている。
「どこか、行きたいってこと?」
彼女の顔を見ずに言った。
「どこかって?」
「……どこでも……」
「……べつに……」
初夏の陽は心地よく私を包んでいた。だが心に陽光は差していない。
由紀子は膝を抱えた姿勢で目を閉じた。耳たぶがほんのり赤みを帯びて産毛が光っている。その耳に息を吹きかけると彼女は身をのけぞらせて喘ぐ。とても敏感な部分だ。
喊声が上がり、その方を見ると、さっきまでボール遊びをしていた男女のグループが、今度はなにやら走り回っている。由紀子は見るともなくその光景に目を向けていた。大騒ぎしているにもかかわらず声が遠いように感じられた。
「わざわざ遊びに来るのかしらね」
「なにが?」
「遊びによ」
「ああ……」
何か続けるつもりだったが、言葉は漂って流れた。
「面白そうね。鬼ごっこ?」
由紀子は笑いながら言ったが、少しも可笑しそうに見えなかった。
「一緒に入れてもらえば?」
「そうじゃなくて……」
「アイスクリーム買ってこようか」
私が立ち上がると由紀子は力なく顔を横に振ったが、私は売店に向かって歩いていった。
芝生のそこここには若い男女が肩を寄せ合って談笑していた。みんながそれぞれ相手を見つめている。互いに存在を意識している。目の前にいるから意識するのか、意識しているから二人でいるのか。どうでもいいことのようで、何か大切なことが隠されているような気もした。
私が食べ終えても由紀子はまだ半分以上残していた。
「とける……」
促すたびに口へ運ぶが、その動作はまた遠のいた。
「何だか眠くなっちゃった……」
由紀子は小さな欠伸を飲み込んだ。
「そろそろ行く?」
「ううん。まだいい。気持ちがいい。暖かくて」
本当に暖かい日だった。空は白っぽく輝いている。遠く高速道路が見える。ここは都会の真ん中だったが、のどかに陽がふりそそぎ、その下にたくさんの人々が集まっていた。そして楽しそうだった。
「あら、カラス……」
由紀子が空を指差した。見ると、かなり大きな鳥がゆっくりと森の方へ向って飛んでいた。
「カラスじゃないよ、あれは……」
由紀子の目は私に向けられ、ふたたび鳥の行方を追った。
「カラスみたい」
声を落として言い替えた。
「似てるけど……」
そうかもしれない、と私は思いながら、カラスを見間違えることなんてあるのだろうかと思った。
陽気のせいか、由紀子はどこかけだるそうな感じで意味もなく木切れをつまんで見つめている。そしてぽつんと言った。
「つまらないわね……私たち……」
煙草の煙を吐き出しながら、私は何気なくその言葉を反芻していた。そして間もなく、後頭部の辺りに鈍い痛みを覚えて目を閉じた。
‘つまらない‘と言っただけだったらさほどのこともなかったと思う。習慣のように二人は会っていたのだから、新鮮なときめきはなく、もっともな想いだったろう。私だってそう思うことがある。しかし、‘私たち‘と付け加えられたことで私の神経に触れた。私の存在が否定された思いがしたのである。
別れの意思表示を仄めかせたのか?あるいは深い意味を込めずに、つい本音が洩れたものなのか。由紀子の様子に変化は見られなかった。だがいずれにしても私にとっては同じことだった。
(つまらないのか……)
自らの狭量さに煩悶しながらも、私は自尊心を握りしめて立ちあがった。そして無言のまま歩き出した。しかし、憤慨しながらも由紀子を置いて帰るつもりはなかった。悲しいかな心と裏腹に肉欲は萎えていない。まだ明るいがホテルに行くことになるだろう。由紀子はいつものようにわずかな抵抗をみせるにちがいない。それでも肌を合わせ、秘部をまさぐり、乳房を揉みあげれば女になる。喘ぎ、呻き、肉体は男を求めて濡れ、女肉は充血する。絶頂に声を上げる彼女の心に満ちるものは何なのか。それはわかり得ない。
少しして振り返ると、由紀子はようやく腰を上げかけたところだった。