後編-6
(6)
その後、三回誘いを断ったのもそんな迷いの気持ちがあったからだった。
「つれないわね……」
由里が不快をあらわにしたのは仕方のないことだ。はっきりした理由もなく、その都度思いつくまま繕った言い訳なのだから嘘だと見抜いたのだろう。何度も一緒に遊んでおいていまさら……。由里の口調にはそんな不満が感じられた。
半年ほど経ったある日、
「お願いがあるの」
由里の声はいつもとちがう。笑いがない。
「実はね……」
何かと思っていると、やはりツアーの話を始めたので知恵子は言葉を濁した。
「何となく気が乗らないのよ」
「今回だけ。お願い。わけがあるの。聞いて。あたしの代わりなのよ」
いつものツアーではないのだという。
「貴恵のためにセッティングした旅行なのよ」
M氏というスナックの常連客がいる。その男性に貴恵は以前から惚れ込んでいる。彼のほうも貴恵が好きで通ってきている。双方独身で阻害するものはない。ならば簡単に結びつきそうなものだが、出会って四年近くになるというのに二人で食事すらしたことがない。
「男性経験が豊富でも本当に好きな人にはなかなか言えないのよ。ましてお客さんでしょ。貴恵って、根は純情なのよ」
そこでやはり長年の客のS氏と由里が二人をくっつけようと旅行を計画したのだそうだ。物静かなM氏は客として知り合ったS氏だけには想いを打ち明けていたという。
「貴恵の気持ちは前からあたしは知っていたからね。たまたまSさんと話をしていて相思相愛がわかったってわけよ」
しかし、いい大人である。回りくどいことをしなくても互いの気持ちをそれぞれに伝えてあげれば済むのではないか。
「そうなんだけど、それをあたしとSさんでドラマチックに作っちゃったのよ。旅先で愛を確かめ合うなんて感動的でしょ?」
知恵子は興味がわかず、気のない反応を示した。
その日程が明後日。S氏と由里が同行する予定になっていた。それが昨夜、息子がバイクの転倒事故を起こして骨折してしまった。
「入院してるのに行けないでしょう?」
だから、知恵子に、というのである。
「ケガはひどいの?」
「幸い軽くて心配はなさそうなの」
「でも、困るわ。急に……」
「費用はいらないし、埋め合わせはするわ」
(二人だけで行かせればいいのに……)
心で呟きながらしぶしぶ引き受けたのは、これを機に貴恵が秘密の斡旋をやめると言っていると聞いたからだった。
「何かあったの?」
「別にないけど。元々ヤバイことだし、彼女、今度のことで真剣になったらしいの。Mさんが店にいる時にはツアーの話は絶対にしなかったわ。好きな人に知られたくなかったのね」
勝手だと思ったが、何となく自分自身のけじめのような気もしていた。振り返れば平気で夫を裏切り、何もかも忘れて楽しんだのだ。懺悔の想いが湧いていた。
それにS氏とはセックス抜きだという。同行して介添え役ということだった。
「八十四歳のおじいちゃんだもん。それに誠実な人だから変なこともしないわ。安心して。貴恵とMさんのために付き合うだけなの」
「そう……」
ほっとしたのは正直な気持ちだった。
『介添旅行』から帰った夜、知恵子は自ら夫を求めた。蹲っていたペニスはむくむくと伸び、口に含むとぐんと漲った。夫の温かい手で乳房を揉まれ、知恵子はこれまで感じたことのない緩やかな快感の流れに身を任せながら開脚していった。うっとり笑みまで浮かべていたように思う。
(こんなやさしい感覚初めて……)
いや、前にもあったのかもしれない。忘れていただけなのかもしれない。
やがて入口が塞がれ、心地よい圧迫をもって押し開かれていった。
貴恵とは初対面だったが由里の親友ということもあって気を遣うこともなく過ごすことができた。
食事の後、彼女がしんみり語った話が心の襞に入り込んでいる。
「ごめんなさいね」
知恵子は由里の代役のことだと思い、
「いいのよ。暇だから」
「それもあるけど、いままでのツアーのこと。滅茶苦茶なことをしていたわ」
咄嗟に応じられなかったのはその中でのたうちまわった自分もいたからだ。
「でも、みんな願望を持っているんだし」
「だからといってやっていい理由にはならないわ。いまさら言うのも恥ずかしいけど」
あと三十分ほどで彼女はM氏の部屋へ行くことになっている。S氏がこの部屋に来た時がその時間だ。二人が結ばれる夜なのだ。
「やっぱり男も女も決まった相手を持たないとだめなんだと思う」
貴恵は知恵子に視線を向けて、
「ある人に言われたの。女のアソコは好きな男と暮らせばその人のモノの形になっていくんですって。サイズなんて関係ないの。だから、しょっちゅう男を変えているとどれもしっくりいかない。あたしなんか遊んでたから、なるほどって思ったわ。快楽は刹那。しかも切りがない。運命をともにするチンポを掴め。ふふ……その人が言ったの」
知恵子は夫の顔を浮かべていた。それはとても優しく穏やかに思えた。
「あたしなんか何人もの男と寝たからもう無理ねって言ったの」
「その人に?」
「そう。そうしたら違うって。愛し合って伴侶となれば納まるようになるんだって。人間の性器は動物とは違う。愛のためにある。だから粗末にしちゃいけない。たしかにそうかもしれないわ。ふらふらしてると男を変えてばかり。しまいには誰でもよくなってセックスしか頭にないようになる。由里もあたしに似てきた……」
「由里も?」
「知ってるでしょ?ずっと別居してるの」
知恵子は首を横に振った。
「あら、そうだったの。もう三年になるわ。ご主人が実家に帰ってしまって。彼女、淋しいんでしょ。居場所がないのよ」
「そうなの……」
(知らなかった……)