蜜月1-3
家庭との板挟みで悩んでいることは十分承知している。そのことを何度か話し合ったが、解決策などあるはずもない。このままではいけないと思いつつもお互い明確な意思表示は避けている。この先どうすればよいのかと自問自答はすれど、結論など出やしない。彼女を呼び出しベッドの上で交わること以外、今は考えられなかった。ずっとこの状態でいたいとさえ思っている。
自己中心的な考えを持ち合わせている田倉にとって、連絡すれば逢ってくれることに有頂天になっていた。独り身の気軽さもあり、このまま続けられるだろうと楽観的に考えているところもある。部下の妻に手を出しておいて破滅の道へと突き進むことだけは避けたい、といった狡猾な考えも持ち合わせている。現実味のない夢さえ……。
田倉の手練により稚拙だった性技も上達した。騎馬上位では姿態をくねらせ、田倉を悦ばすこともできるようになった。手を伸ばすと、上質な柔肌を味わうことができる。そんな彼女を手放すことなど考えられない。最後に彼女を抱いたのは、もうずいぶん前だ。仕事に忙殺され、どう調整しても逢う時間を作ることができなかった。やがて経験したことのない禁断症状が田倉を襲った。
女子社員の体をなめるように盗み見たり、打ち合わせのときに相手側にいる女性がいると、体ばかりが気になってしまう。電車や街中で好みの女性を見ると欲情し、果ては秘書の下村沙也加の悩ましい後ろ姿を見て、押し倒したい衝動に駆られたことさえある。
彼女と逢いたい。彼女を強く抱きしめたい、においを嗅ぎたい、キスをしたい、性器も、肛門も見たい、ペニスを挿入したい、濃厚なセックスで彼女を狂わせたい……。思春期の学生のように、こんなことが四六時中頭の中で渦を巻いていた。セックス依存症ではないかと本気で心配した。
夕方、得意先から帰社し、一人っきりのエレベーターの中で淫らな空想に耽っていた。ドアが開きフロアのざわめきを耳にしたとたん現実に戻された。
そのときケータイが鳴った。得意先だろうと思い、画面を見ると彼女からだった。鋭い痛みを伴って心臓が高鳴った。何だろう、こんな時間に。仕事中に連絡するような人ではない。もっとも連絡するのはいつも田倉からだが。
電話に出ると彼女は吐息のような声で「逢いたい」と言った。「あなたが欲しい」――セックスのときでさえ口にしたことがない言葉も彼女は口にした。田倉はうわずった声でホテルを指定し、いかなる重要な仕事も放棄することに決めた。室内に下村秘書がいなくてホッとした。部長室を出てから近くにいた女子社員に言付けをした。
見るつもりはなかった。デスクにいる佐伯と目があった。顔を上げ、口を窄めて田倉を見ていたが、それを無視して逃げるようにしてフロアから出て行った。
電車を降りたあと走って行きたかったが、さすがにためらわれた。本気になればこんなに歩くのが速いのかと、内心密かに驚いていた。まだまだ体力が衰えていないことに自信を持った。
彼女が来たら一緒にシャワーを浴びて、ぬるくした浴槽の中で愛し合おうか。浴室にあるマットレスの上で抱き合ってもいい。自動販売機の中にローションがあることは確認済みだ。田倉は財布を出した。
興奮が収まらない。息苦しいまま部屋に戻った。中央にダブルベッドがデンと置いてある。ここはセックスをするためだけの部屋なのだ。そう思うと血液がどっと下半身に流れ込んだ。
始めて彼女を抱いたとき、体はほとんど開発されていないことを知った。そんな彼女に夢中になった。「自分の色に染めてみたい」――心からそう思った。田倉はその通りに実行した。