オオカミさんの ほしいもの -8
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――青い草の香りが鼻をくすぐり、目を覚ましたマルセラは仰天した。
部屋で寝ていたはずなのに、いつのまにか、さんさんと太陽が照りつける草地に転がっていた。
そして周囲に見える何もかもが、やたらに大きい。ジャングルのような茂みの傍に、巨大な蝶が飛んでいるし、並んでそびえたつ木々も、見上げるような巨木だ。
(え? ……あれっ!?)
自分の手を見て、更に深刻な異変に気づいた。五本指のある人間の手ではなく、栗色の毛皮に覆われた猫の手が付いている。
近くの水溜りに、おそるおそる顔を映してみると、そこには薄汚れて痩せこけた一匹の子猫が写っていた。
周りの物が大きいのではなく、マルセラが小さくなっていたのだ。
(なにこれ!? 夢!?)
驚愕の声もニャアニャアとしか出ない。
途方に暮れて、もう一度周囲を見渡すと、遠くに荘厳な時計台が見え、ここがどこか解った。駅前にある記念公園だ。
夢にしては、照り付ける太陽も遠くから聞えるざわめきもリアルで、一向に醒める気配がない。おまけにお腹が空いてきた。
仕方なく茂みを抜けると、やっぱりモザイクタイルの美しい遊歩道に出た。
何度もこの道を歩いて公園に遊びに行ったが、猫の低い視線から見るのは新鮮だった。
(わっ!)
タイルにみとれていたら、誰かの靴とぶつかりそうになった。
「あっぶねー!」
子どもの焦り声があがり、汚れてボロボロの靴は、危ういところでマルセラを避ける。
見上げると、やたらと目つきの悪い男の子が、こちらを睨み降ろしていた。
年頃は六〜七歳だろうか。短い金髪は自分で切ったのか、変に不ぞろいだったし、髑髏のプリントがされた黒いタンクトップも薄汚れている。
刺々しい気配を全身にまとった男の子からは、育ちの悪さがこれでもかというほど滲み出ていた。
遊歩道には何組かの親子連れや若者がいたが、浮浪児のような男の子を横目でちらっと見ては、すぐ目を背ける。
(嘘……この子、もしかして……)
ジークそっくりな男の子を前に、マルセラが呆然と座り込んでいると、男の子は舌打ちして去ろうとした。
その首筋に、まだ生々しい十字架型の火傷を見つけ、確信する。
(待って! わたしだよ! マルセラだよ!)
どうして自分が子猫で、ジークも小さくなっているのかわからないが、とにかく彼に違いない。
にゃあにゃあとしか鳴けないのがもどかしく、必死にジークの足に身体を擦り付けて訴えるが、やっぱりわかっては貰えないようだ。
「なんだよ、お前。邪魔だ」
小さなジークは鬱陶しそうに言ったが、マルセラを蹴っ飛ばさないように、気をつけて歩く。
やがてジークは人々で賑わう結界広場まで着き、マルセラの首根っこを掴んで持ち上げた。
「おい、もう付いてくんな。俺はメシを手に入れなきゃいけねーんだから」
小声でそう言われ、花壇の隅に置かれた。
(ご飯を? 誰か知り合いを探してるのかな?)
首をかしげ、マルセラは大人しく座ってジークを眺めていた。
ジークは両親がいないらしいが、子ども時代の話を詳しくして貰ったことはない。
ただ、会話の端々から、あまり良くない環境で育ったらしい事だけは察せた。
屋台の近くをうろうろしている彼を見て、やがて何をしようとしているのか気づいた。
(盗みなんて、駄目だよ!)
駆け寄って屋台の向こうからニャアニャア鳴いたら、額にタオルを巻いた中年店主がマルセラを眺めている隙に、ジークが素早くホットドックを一つかすめとった。
(うわっ、わぁぁっ! ごめんなさい! 違うんだって〜!)
逆に盗みを手伝ってしまい、屋台のおじさんに猫語で詫び、慌ててジークを追いかけた。
ジークは広場の隅で花壇の縁に悠々と腰掛けており、マルセラを見るとニヤリと笑った。
「やるじゃねぇか。ほら、お前の分」
前足の先にホットドックを半分置かれ、喉がゴクリと鳴る。
夢のはずなのに、死にそうなほど腹ぺこだ。
(こ、これ……夢なんだよね……?)
そっと鼻先を近づけると、食欲をそそるいい匂いがし、堪えきれずにかぶりついた。
ソーセージも冷めてから残さず食べた。
今日の催し物は子供向けのお祭りで、広場にはピエロや動物の着ぐるみがウロウロし、家族連れで賑わっていた。
ジークは食べ終わっても動かず、花壇に腰掛けたまま、足をブラブラさせて周囲を眺めている。
(……もしかして、一人が寂しいの?)
通じないだろうけど、思わず尋ねてしまった。
両親を失ってからしばらくは、マルセラも幸せそうな家族連れを見ると、辛くなるのが解ってるのに、つい見入ってしまった。
「……あいつ等は弱いから、誰かと一緒にいるしかないんだ」
不意に、ジークがそう言って、言葉が通じたのかとビックリしたが、彼はただ独り言を言っただけのようだ。
少し離れた場所から、家族連れの行き交う風景を悠然と眺めている彼は、なんだか野生動物のように見えた。
間違って都会の隅に産まれてしまったけれど、決して人に懐かず一匹で逞しく生きている子狼のようだ。
「お前も弱そうだなぁ」
マルセラを見下ろし、犬歯の少し目立つ口元で、小さな男の子のジークが笑う。
あまり綺麗じゃない手で、ぐりぐり頭を撫でられた。
「仕方ねぇ。俺がちょっとだけ一緒にいてやるよ」