オオカミさんの ほしいもの -10
彼はあちこちで食べ物を盗んでいたけれど、マルセラはもう止めなかった。
盗みは悪いことだけれど、お行儀良く待っていたら、飢え死にしてしまうだろう。
外から鳴いて店主の注意を引いたりと、一生懸命手伝った。
彼は非常に凶暴で、ケンカもしょっちゅうした。
近所の子どもたちは、すでに酷い目に合わされているらしく、ジークを見ただけで逃げ出していたが、少し離れた場所に行くと、その外見からか、すぐに絡んでくる相手がいた。
大抵は年上の不良少年で、数人でつるんでいることも多かった。女の子が混ざっていることもあった。
たまに負けそうになる時もあったが、どんなにボロボロになっても、ジークは最後には勝つ。相手が自分より大きければ、女の子でも平気で殴る。
相手を倒すまで殴り合うケンカなど、マルセラは一度もしたことがなかったし、凄みのある笑い声をあげて他人を殴るジークが、怖くなる時もあった。
けれどジークがベッドに寝転び、隣りをちょっと空けて、伺うようにマルセラを眺めている姿を見ると、急いで飛び込んで擦り寄ってしまう。
殴られて腫れた頬が痛々しくて、そっと舐めてみた。
「痛ぇよ」
ザリザリの舌がかえって痛かったらしく、ジークは顔を背けてしまったが、かわりに伸びてきた腕に、しっかり抱きしめられた。
「お前は本当に変な猫だよなぁ」
呆れたようにジークが呟く。
「なぁ……もしお前が人間なら、どんなヤツなんだろうな?」
抱き締める腕に、少しだけ力が篭る。
「でも、猫でもいいや。俺とずっと……」
その時だった、玄関の鍵をガチャガチャ回す音が聞こえ、ジークの顔が強張る。
薄汚れた布団の中へ押し込まれるのと、扉が開いたのはほぼ同時だった。
「ジーク! 学校はちゃんと行ってたでしょうね! アンタがサボると、うるさく言われるのはアタシなんだよ!」
やけにガラガラした女の声が響き、マルセラは布団の中で身体を震わせた。
「毎日行った」
ジークはそう答えたが、嘘だとマルセラは知っている。
学校なんか一度も行かなかったし、周囲の大人たちも、学校に行っている時間にジークがうろうろしていても、誰も何も言わなかった。
「ならいいけど……っしゅん!」
大きなクシャミと鼻をすする音が聞こえた。
「くしゅん……っ、ジーク! 猫を部屋に入れただろ! 母さんは猫アレルギーなんだよ!!」
「……猫なんか、知らねぇよ」
ジークがまたついた嘘は、あっさり見破られた。
「嘘つくんじゃないよ! くしゅっ! ほら、アンタの布団に、猫の毛がついてるじゃないか!!」
マルセラが潜った布団のすぐ傍で、ヒステリックなわめき声が響く。
「知らねぇって言ってんだよ!」
マルセラを庇うように座り込んだままジークが怒鳴り、続いて鈍い音がした。布団の隙間から覗くと、派手な化粧をした金髪の女が見えた。
怒り狂っている女は、自分の靴を片方脱ぎ、それでジークを殴りつけたようだ。
硬いヒールで殴られたジークからは、鼻血が出ていた。
「……あの男は? また捨てられたのかよ」
「クソガキ!!」
立て続けに何度も靴が振り下ろされる。
(どうして……!?)
この数日間、ずっとジークのケンカを見ていたが、彼ならあれくらい避けれるはずだ。それに、殴られたら必ず殴り返していたジークが、黙ってシーツを握っているだけだ。
(やめてよ! やめて!! なんでわからないの!?)
どうすることもできないまま、布団の中で悔しさに涙を滲ませた。
ジークが殴り返さないのは、追い出されるのが怖いからじゃない。彼なら路上で一人きりでも逞しく生きて行けるだろう。
――あなたが、お母さんだから、殴らないんだよ!!
心の中で叫んだ瞬間、布団がばっと剥ぎ取られた。
「逃げろ!!」
ジークが叫び、マルセラは後ろ足をいっぱいに使って跳躍し、女の横をすり抜ける。
「この……っ! 出てけ!!」
怒鳴り声と共に、何かが宙を切って飛んでくる気配を感じた。
半開きだった玄関を飛び出すのと、ガラスが割れる派手な音が聞こえたのは、ほぼ同時だった。
強い酒の匂いに眩暈がし、外階段でマルセラの足がふらつき始める。
(あ、あれ……?)
すぅっと、身体が消えていくような感覚におそわれた。
「親に嘘つくガキなんて、いらないよ!」
周囲の景色がぼやけ、部屋の奥でジークの母親が怒鳴る声が、急速に遠のいていく。
マルセラが逃げた代わりに、彼がさらに殴られていることが容易にわかった。
(待ってよ! もう殴らないで!!)
駆け戻ろうとしたけれど、辺りがぼやけて足の感覚もなくなっていく。
「お願い!!」
――叫んだ自分の声で、目が覚めた。