尾行2-3
田倉の外出に合わせ、何度か奈津子の家の近くで張り込みをしたが不発に終わった。あれ以来、奈津子の姿を見ることはできなかった。石橋は根はまじめな男なので、これ以上サボることには抵抗があった。疑惑はぬぐいきれないが、レッカー事件もあり、もはや尾行する気力は失せていた。
下半身に異常があったせいもある。ちょっと前から先っぽが痒いのだ。あらためて見てみるとカリの部分がすりむけて赤みを帯びていた。もちろん『進藤さん』の使いすぎが原因である。
何か塗るものはないかと家中引っかき回すが、ない。それどころか、薬らしきものは何一つない。物心がついたころから現在にたるまで大いに健康だったため、薬を飲んだ記憶もないし買った記憶もない、病院にも行ったこともない。ねんざしても顔に青タンをこしらえても、自然治癒であった。
会社で加入している健康保険組合からもらった、額縁に入れた表彰状を見上げ、「バンドエイドすらねえのかよ」と我ながら呆れ返った。「でもバンドエイド巻いたら笑っちゃいますね」と照れながら『進藤さん』に向かって話しかける。石橋が会社から帰ってくると、一番に出迎えるてくれる場所に『進藤さん』がいる。『進藤さん』と話すときはもちろん敬語だ。
毎晩使うので今回ばかりは治りが悪い。『進藤さん』の次ぎに大事なものなので、ちゃんと治したい。塗り薬が欲しい。さすがの石橋でも病院へ行くのは恥ずかしすぎる。近所の薬局でもいいが、散歩がてらに品物の豊富な大型スーパーへでも行くかということになった。今日は休日なので午前中に家の掃除や洗濯をして、天気がよいのでついでに布団も干して午後から出かけた。
大型店は人でごった返していた。だが人混みは嫌いではない。前方を歩く女性の揺れる尻を見つめながら「今日はいいことがあるかな」などととつぶやいた。
早速軟膏を買い、トイレの中で塗りたくった。そのせいで下半身がスースーする。たちまち治っていくような気がした。布団を干したが、日が陰るまでには時間がある。もう少しぶらぶらしよう。
トイレから出ると、前方から佐伯義雄が歩いて来るのが見えた。石橋は慌ててトイレに戻った。手を洗っていた若い男性が訝しげにジロリと見たが、気にするどころではない。その男と入れ替わりに佐伯が入ってきた。間一髪、洋式トイレに逃げ込んでピシャリと戸を閉め、鍵をかけた。心臓がバクバクしている。
佐伯が出て行くまで息を殺した。人の気配がなくなると石橋は恐る恐るドアを開けた。トイレからそっと出ると佐伯の後ろ姿が見えた。その横に奈津子の後ろ姿が……。
「こんな所で進藤さんに逢えるなんて」石橋は感動した。
奈津子の腕にぶら下がるようにしている娘を見て「たしかメグミ、だっけな。それにしても驚くべき美少女だ……」――と石橋は首を振ってうなり声をあげた。
「さすが進藤さんだな」
そう思ったあと、胤は佐伯であることに気付いて虚しさに襲われた。
三人は店内をしばらく散策していたが、書店の前で別れた。佐伯と娘は書店に入り、奈津子は軽く手を振って立ち去った。石橋は迷わず奈津子を追った。こんなところで尾行する意味は全くないのだが、せっかく逢えたのだからこのまま帰りたくない気分であった。