十字刻印の専属英雄-1
目を覚ましたジークは、自分が包帯グルグル巻きで寝ている事に気づくまで、少し時間がかかった。
「っ……!」
起き上がろうとした途端、右肩から指先にかけて激痛が走った。
(…………痛い?)
喰いちぎられたはずの右腕が、なぜか存在していた。
包帯とギプスでがっちり固定されており、痛みが走るだけで、指一本も動かせなかったが、確かにくっついているようだ。
呆然と包帯の塊を眺め、それからハッと辺りを見渡す
どこかの病院らしい。白い個室に寝ており、クリーム色の病着を着せられていた。
狭い壁際には医療機器や棚がいくつか並び、パイプ椅子が一つある。
椅子には見知らぬ銀髪の青年が腰掛け、携帯用のショートブレッドをパクついていた。
――おい、ダース単位の空き箱が見えるんだが。その細身で全部食ったのか?
盛大な食べっぷりを無言で眺めていると、青年はペットボトルの茶を口に流し込み、ようやくこちらを向いた。
「失礼。忙しくて、食事するヒマもろくに取れなかったのですよ」
弁解するように言った彼は、仕立てのいい細身のスーツが良く似合う優男だった。
「ここは王立中央病院ですよ。今は貴方が怪我を負った夜から、二日後の夕方です」
ジークが尋ねる前に、青年は疑問を先読みして答える。
「リハビリをきちんとすれば、右腕は元通りに動くそうですよ。あれだけ損傷の激しい傷口なのに、神経が全て順調に繋がったと、手術執刀医が驚いておりました」
不意に整った口元へ、性格の悪そうな笑みが浮ぶ。
「さすがは人狼の回復力といったところですか。
無自覚とはいえ、人狼の子孫が退魔士など、皮肉な話ですねぇ。エスカランテ一級退魔士殿」
「俺が人狼の子孫?」
突拍子もないセリフに耳を疑った。腕だけでなく胸部の傷も酷く痛んだが、なんとか上体を起こす。
「あまり無理しない方が良いですよ。普通なら失血死していたそうです」
澄まし顔で忠告する青年を睨みつけた。
「ふざけたこと抜かすな。お前は誰だ?」
「ああ、申し遅れました。こういう者です」
裏道のチンピラも逃げ出す凶暴な視線を、線の細い青年は平然と受け止め、ソツない動作で名刺を差し出した。
表面には、有名な大会社バーグレイ・カンパニーの社名と社章が印刷され、その下に青年の名と所属が載っている。
『イスパニラ支社 特殊・貴重品採集課 ウリセス・イスキェルド』
ウリセスが何か言いたそうに、ニマニマと名刺を眺めているので、クルリと裏側をひっくリ返して見た。
『非常事態収拾員』
白い長方形の中心に、ポツンと細かな文字でそれだけが印刷されていた。
「こういった非常事態の後始末をする役目ですよ。たまにとはいえ、なかなかの激務です。
残業と休日出勤手当てはきっちり頂いておりますがね」
「それが、どうして俺と……」
「今回の件は、全てこちらで対処させて頂きました。その怪我は、たまたま公園に迷いこんだ魔獣の仕業ということになっています。」
「はぁ!?」
「貴方に個人情報やパスワードを漏洩したおバカさんは、都議員の親戚でしてね。身内の不祥事を表沙汰にしたくないそうですよ。
教皇庁の方にも根回ししてくださるので、こちらの報告資料を元に、口裏を合わせてください」
「おい、ちょ……」
「職務中の怪我ということで、労災がおりますし、回復しだい復帰も可能です。なにしろ退魔士は深刻な人材不足ですからね」
立て板に水とばかりにしゃべりたてる青年は、ジークに口を挟む隙も与えず、封筒を突きつける。
中身を見ると、真っ赤な嘘を並べ立てた、呆れるほど完璧な事件報告書だった。
「貴方は狂犬のような問題児ですが、最年少記録で一級を取るほどの退魔士は、この都市に必要だそうですよ。
はい、他に何か質問は?」
「……なるほどな、捜査妨害してやがったのは、お前か」
大々的な噂の風化操作など、とても個人でできる規模ではないと思っていたら、こんな大企業がバックアップについていたわけか。