十字刻印の専属英雄-4
一人残されたジークは、左手で短い金髪をガシガシ掻く。
ベッド脇の小さなチェストを開くと、ポケットに入れていた財布や携帯の類が全て入っていた。
ウリセスに寄越された書類を引き出しに放り込み、かわりに携帯をつかみ出す。
携帯の電源は切られていたが、壊れてはいないようだ。ストラップも無事に着いている。
他にも考えることはいっぱいあるべきなのに、なぜか最初に頭へ浮かんだのは、隣部屋に住むうっとうしい少女の顔だった。
(俺が負けたのを知ったら、マルセラはどう思うだろうな……)
そんな事をぼんやり考えていると、扉を遠慮がちにノックする音がした。
返事をすると、そろそろと白い扉が開き、年老いた女性が姿を見せた。
「お怪我をなさったと聞きまして……」
現れたマルセラの祖母に、ジークはポカンと口を開ける。
マルセラがやたらとジークに懐くから、祖母とも顔見知りになっていた。物静かで穏やかな人で、賑やかな孫とは正反対だ。
「お加減はどうですか?」
「え?ああ……まぁ、その……別に……」
心配そうな表情で尋ねられ、しどろもどろな小声で答えた。
なにしろ負け知らずだったから、入院など初めてだ。それに子ども時代は、風邪を引いても怪我をしても、心配されたことなどなかった。
「ほら、マルセラ」
祖母が呼ぶと、スカートの後ろに隠れていたマルセラが顔を出した。
いつもならジークを見た途端、ニコニコと駆け寄ってくる少女は、しかめっ面で口元を硬く引き結んでいる。
何か決心したように、つかつかと早足で病室に入り、小さな手を突き出した。
「……ストラップ、返して」
「え……」
ジークが身動きできずにいると、マルセラは床を見たまま、硬く強張った声で繰り返した。
「英雄のストラップ、返して」
「……ああ」
頷いた。
チェストから携帯を取り上げる手が、どうしてかと思うほど震える。
「そうだな。負けちまったら、英雄失格だなぁ」
くくっと、喉が引きつった。
鬱陶しくてたまらなかったストラップを、ようやく外せるのに、なんだって、こんなに……。
「右手がこうじゃ、上手く外せねぇよ。お前がやってくれ」
包帯で固定された手を軽くあげて見せ、携帯ごとマルセラに渡した。。
手先は器用で、左手でもそれくらい楽にできるはずだ。なのに、どうしても耐えられない。
「……もう絶対に、ジークお兄ちゃんを英雄なんて呼ばない」
携帯を受け取ったマルセラが、俯いたまま呟く。
「これ!なんてことを!」
祖母が小声で叱責すると、真っ赤な顔を上げ、頬を膨らませた。大きな丸い瞳に、みるみるうちに涙が盛り上がる。
「だって!! 英雄になって魔物と戦ったから、ジークお兄ちゃんは大怪我したんでしょう!?
今度はパパとママみたいに、殺されちゃうかもしれない!!!」
堰を切ったように、マルセラは大声をあげて泣き出した。
「だったら、英雄なんかいらない! ジークお兄ちゃんがいてくれるほうが良い!!!」
「お、おい……」
思いがけない言葉と号泣に、ジークはおろおろとマルセラの背をさする。
「よしよし。わかったから、静かにしなさい」
マルセラの祖母も必死で宥めるが、泣き出した少女は止まらなくなったらしい。
「英雄を辞めたって、大好きだよ!! 私をゾンビから助けてくれたこと、ちゃんと覚えてるもん!!」
張り上げられた少女の声に、背をさする手がギクリと強張った。
ウリセスはジークを、『都合の悪い過去も隠さないタイプ』と言ったが、とんだ間違いだ。
逮捕暦を隠す気はなくても、ジークだって必死で隠していた過去がある。
マルセラの祖母が、気遣わしそうな視線をジークに向けた。
「この子の様子から、そうではないかと思いましたが……あの時マルセラを助けてくれたのは、やっぱり貴方だったのですね」
「いや……あれは、別に……たまたまで……」
冷や汗を浮べ、掠れた声で呟いた。