凶暴回帰の満月夜-2
「はぁ〜……危なかった……」
表通りに出たエメリナは、深い溜め息をつく。ついでに手を振り払おうとしたが、無理だった。
ガッチリ手を掴むジークを見上げ、思い切り睨んだ。
「アパート追い出されたら、貴方のせいよ」
「知るか。自業自得だろ」
極悪人は、ニヤニヤと意地悪く笑う。
「手錠で連行されてたら、あんな言い訳も出来なかったんだぜ?いやはや、感謝の一つも欲しいとこだ」
「くっ……」
唇を噛むエメリナを引っ張り、ジークはズカズカ大股で歩きだす。
アパート前の大通りは、まだまだ賑やかな時間だった。ライトを光らせた車が列を成し、歩道にも大勢の人々が歩いている。
それでも今夜は、一際輝く満月を楽しもうと、部屋を暗くしている建物が多かった。
夜の通りを行き交う人々は、心なしかいつもよりカップルが多いようだ。
歩道のあちこちに設置されたベンチで、恋人たちが夜空の大きな月を見上げ、楽しそうに寄り添っている。素知らぬ顔で通りすぎる者も、楽しげな恋人達に、羨ましげな視線を向ける者もいた。
しかし、眉間に深い深い立て皺を寄せるエメリナと、その隣りを歩いているジークに向けられるのは、羨望ではなく好奇と非難めいた視線ばかりだった。
人通りの中でも、長身で悪人面のジークはただでさえ目立つ。
そのうえ退魔士の制服を着た彼が、どうみても一般市民の女と、しっかり手を繋いで歩いているのだ。
(ったく、退魔士が勤務サボってデートかよ)
(満月祭だから、彼女がねだったんじゃない?)
(ああ、仕事と私どっちをとるの? 的な……)
(いるいる、そういう女!)
そんなヒソヒソ声が、背中に突き刺さる。
――実際は、単にジークがもの凄い握力でエメリナの手を捕らえているだけなのだが、傍からは仲よく手を繋いでいるように見えるらしい。
「……止めたほうが良いんじゃない?すでにメチャクチャ目立ってるし」
虚ろな無表情で、エメリナはボソっと呟いた。
コイツの恋人……しかも恋愛脳一直線の迷惑女と決め付けられた心理ダメージで、もう顔をしかめる気力も残っていない。
「だいたい、公園から先生にどうやって連絡とるのよ。
携帯にかけても、繋がる確立は十パーセント以下よ。最後まで用件を話せたら、もう奇跡ね」
エメリナだってギルベルトと電話でまともに話せたのは、面接申し込みの時に、たった一度きりだ。
それを聞くと、ジークは驚いたように軽く目を見開く。
「おいおい、機械音痴は日記で知ってたけどよ。そこまで酷いのか?よくイラつかないな」
「先生には他に十分すぎるほど、良いところがあるの。それに、先生が機械音痴だからこそ、私は助手になれたのよ」
迷わず答えた。
そう、機械音痴でも人狼でも構わない。それらも全部ひっくるめて、ギルベルトが好きなのだ。
「へぇ、これくらいが使えないなんて、不便なこった」
ジークがポケットから自分の携帯を取り出し、チラリと時間を確認した。ふと、ウッドビーズのストラップが目に入り、エメリナは足を止めた。
「……やっぱり、こんなのどうかしてる。どうしてそんなに軽々しく命を弄べるの?」
「ああ?」
「貴方だって、もし大怪我したり死んだら、悲しむ人がいるんじゃない?」
最後の期待を込めて、真剣に説得する。
だが、ジークはせせら笑った。
「退魔士の殉職率がどれほどだと思ってんだ。仲間が死ぬたび嘆いてたら、勤まらねーよ」
「でも……」
握られていないほうの手で、ジークの携帯ストラップを指した。
この物騒な青年の持ち物として、どうにも異色な代物だった。
カラフルなウッドビーズの間に、一つだけ他より大きめの平べったいプラスチック板が付いている。
中には、いかにも子どもが描いたような絵が挟まっていた。
吊り上った目に、ツンツンの金髪と黒い服で、ジークの似顔絵だとすぐわかる。
「……心当たりはねぇな」
不快そうな声とともに、携帯は素早くポケットにしまいこまれた。
「それからな、大好きな先生を研究所送りにされたくなけりゃ、もう余計な口は聞くな」
低い声で突き放すように言い、それきりジークも押し黙ってしまった。
黙々と歩き続け、逃げ出す余裕もないまま、ついに記念公園にたどり着いた。
普段なら、記念公園は夜でも各所がライトアップされ、恋人たちの憩いの場となっている。もちろん、不埒な真似をする者がいないように、警備員の巡回もあった。
しかし、各所の道路工事と平行して、公園の各所も補修作業が始まっていた。入り口には厳重に柵が閉まり、公園のライトは全て消えている。
美しい並木道や観葉樹の林も、月光の下で黒々とした木々の塊になり、都会の中心に不気味な森が突如現れたようだった。
ジークは鍵を取り出し、入り口の柵を開けて躊躇わず入っていく。どうせその鍵も、ギルベルトと戦いたいがために、不正に手に入れたものだろう。
有無を言わせぬ力で、エメリナは結界広場まで連れて行かれる。
静まり返った広場に、六体の天使像が月光を浴びて佇んでいた。夜露の輝く芝生の上に、薄っすらと長い影が伸びている。
天使たちはそれぞれ違う顔と服装をしているが、どれも中央を向き、片手を上げて斜め上を指している。
聞えるのは遠くからかすかに聞える都会の喧騒と、フクロウの鳴き声だけだ。先日の賑やかな大会と同じ場所とは、到底思えなかった。
「ここまで来たら、もういいぜ」
不意に、ジークが手を離した。そして一瞬も数えぬ素早さで、その手は次の行動を起こした。エメリナの首筋へ鈍い衝撃が走る。
「っ!?」
視界が揺れ、白く濁った。頚動脈を強打され、エメリナは芝生に崩れ落ちる。