満身創痍の初デート -9
「――エメリナくん」
ギルベルトが、大会ルールを記載したパネルの横で手招きしていた。大好きな姿を見つけた途端、ホッとして力が抜けていく。一目散に駆け寄った。
「あははっ、負けちゃいました」
ここはちょうどパネルの死角になり、スクリーンも見えないので、近くには誰もいなかった。
観客はほとんどステージの正面に集まっているし、運営スタッフは裏手で準備に大忙しだ。
ステージでは既に二回戦が始まったらしい。戦っているのは、黒豹少女と狼執事のようだ。
豪華な屋敷のステージで流れるBGMに、打撃音やキャラクターの掛け声が威勢良く響く。
「付き合ってくれて、ありがとうございました!さ、今度は先生の行きたい場所を教えてください!」
広場の出口へ歩き出そうとすると、ギルベルトに手を取られた。
「本戦出場者は、まだ復活戦があるだろう?」
「い、良いんです!もう十分楽しみましたから!あ、でも勝手に帰っちゃまずいかな?運営に言って、辞退してきますね」
運営テントに向おうとしたが、しっかり手を握られたまま、動かしてもらえない。
「先生……?」
ギルベルトは、なんだか釈然としないような顔をしていた。まるで、古文書の翻訳に間違いを見つけた時のような顔だ。
「これを見たのは初めてだし、やったことも無い。
ただ……君の予選試合と見比べて、かなり違和感があった。それも技術的な問題でなく、精神的な要素が大きい気がする」
琥珀色の瞳はいつも優しげなのに、何か納得のいかない部分を突き詰める時は、意外なほど鋭くなる。
初めてそれを自分に向けられ、エメリナの全身が硬直した。
「どんな勝負でも、緊張感や意気込といったものは共通する。
本物の格闘なら、俺も少しはわかるしな。
だから、こう言っては悪いが……君が、本気で闘えなかったように感じた」
レンジャーたちが向かう地は、治安が悪く危険な場所も多い。
当然ながら、彼らはさまざまな護身術を身につけ、危険を対処する。
エメリナは見たことがないが、ギルベルトもその気になれば、現役軍人並みに戦えるそうだ。
「そ、それは……ステージに上がったら緊張しちゃって……」
「それだけか?」
ギルベルトは、やはり納得がいかないといった顔を崩さない。
「は、はい…………あはっ!先生ってば、私を買いかぶりすぎですよ!」
口はしを持ち上げ、引きつった笑みを無理やり作った。
頭の中がぐちゃぐちゃで、もうどれが正解なのか解らない。これ以上追求されたら、全てぶちまけてしまうような気がした。
しかしギルベルトは小さく息を吐き、視線を和らげた。
「……すまない。君が一人で解決したい問題なら、あまり立ち入るべきではないな」
少し悲しそうな声に、ズクリと心臓が痛む。
(ああ……私、嫌な子だなぁ……)
それもこれも結局は、自分がギルベルトを信じていないからだ。
そして信じていないくせに、嫌われたくない。ずいぶんと卑怯で身勝手な話だ。
「せんせ……」
勇気を振り絞りかけた途中で、背後からまた嫌な声がした。
「エメリナ、試合も見ないで彼氏に慰めてもらってんのか?」
「っ!!」
イヴァンがギルベルトに軽く会釈する。
「すいませんね、彼女を負かしちゃって」
「いや、ゲームに勝敗があるのは当然だろう」
至極もっともなギルベルトの返答は、イヴァンには少々物足りなかったらしい。少しくらいは悔しがるとでも思っていたのだろうか。
一瞬顔をしかめたあと、口端を歪めた。
「あ、そうそう。エメリナと付き合うなら、多少の浮気は多めに見てやってくださいよ」
「な!?」
思いもよらない侮蔑に固まったエメリナへ、イヴァンの薄笑いが向けられていた。
「俺、コイツの初めての男だから、よく知ってますけど、ちょっと甘い言葉かけられると、簡単にさせちまう尻軽ですから。
でも、悪気なんてないんだよなぁ?エメリナ?」
「!!!!」
唇がヒクヒク震え、声も出なかった。足から力が抜けていく。
しかし、後ろから伸びた逞しい両腕が、地面へ崩れる寸前の身体を、しっかりと抱き締めて支えた。
「……ご忠告ありがとう」
低い笑い声が頭上から発せられた。
エメリナを抱きしめたまま、ギルベルトが薄く笑う。
「だが君なら、自分の恋人と、それを貶める初対面の非常識な男と、どちらを信じる?」
「はぁ?」
不快感も露に、イヴァンが眉をひそめる。
「俺はエメリナくんを信じる」
きっぱりと、何の迷いもなく断言された。抱きしめる腕に力がこもる。
「だから君の余計なおしゃべりは、もう一言たりとも聞くつもりはない」
静かなそのセリフが、どんな表情から発されたのか、エメリナには見えなかった。
しかしイヴァンは、猛獣にでも睨まれたように青ざめる。
「ひっ!」
引きつった声をあげ、そのまま素早くきびすを返して逃げ去ってしまった。
抱きしめられたまま、エメリナは呆然とそれを見送る。頬に、二筋の熱い水が流れていくのを感じた。
「……すごく悔しいけど、まったく嘘でもないんです」